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いっぺん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

一遍

1239年2月15日 - 1289年8月23日 鎌倉時代の僧。時宗の開祖。

 伊予(愛媛県)に生まれ、10歳で出家し天台を学び、13歳で法然の浄土教の流れである西山派の、大宰府の聖達に師事して、念仏を学ぶ。
 36歳のとき(1274年)、四天王寺高野山に詣で、熊野で1人の僧に念仏をすすめたが、信心が起きないので受けられないと断られた。そこで信心の起きない不信者も救われるみちがないかと悩み、熊野本宮証誠殿に参篭していたところ、「信、不信をえらばず、浄、不浄をきらはず、その札をくばるべし」という啓示を受け、念仏の札を配る念仏賦算の時宗が成立した。後、一遍と改名し、念仏を広めるため、諸国遊行の旅に出たので「遊行上人」(ゆぎょうしょうにん)と呼ばれた。

 一遍は妻子や家への執着から離れることができないので、万事を捨てて往生しようとした。死の2週間前頃、「一代聖教みなつきて、南無阿弥陀仏になりはてぬ」と述懐し、所持していたすべての書籍などを焼捨てた。そのため、一遍の著作は今日発見されていない。弟子たちの聞き書きである『播州法語集』『一遍聖絵 』などが残されている。
 一遍の時宗はそののち、急速に全国に流布盛行したが、浄土真宗蓮如の時代に急速に衰えた。
 また、一遍は10世紀の空也(くうや)を先達とし、踊り念仏をすすめた。また、「捨聖(すてひじり)」とも称された。