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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

有漏

sa+āsrava (S)

 原語的には「āsrava」をもつもの、という意味であり、「āsrava」とは本来「流れ出ること、流れ出るもの」を意味する。
 漏とは漏泄(漏れ出る)という意味で、煩悩をいう。煩悩は有情(生きもの)の六根(眼・耳・鼻・舌・身・意の6つの器官)から流れ出るから漏という。
 その漏を有すること、あるいは有するものを有漏という。煩悩から生じ、煩悩に随って働き、煩悩の対象となり、煩悩を生じるものをいう。詳しくは有漏の有について〈倶舎〉と〈唯識〉とでは次のように解釈を異にする。

  1. 〈倶舎〉では、有を「随増」の意味に解釈し、煩悩に随順し煩悩を増長するものを有漏という。苦・集・減・道の四諦のうち、苦と集と道の三つの諦が有為であるが、このうち道諦を除く有為法すなわち苦諦と集諦におさめられるものが有漏である。
  2. 〈唯識〉では、有を「」の意味に解釈し、末那識(潜在的な自我執着心)の我執(自己への執着。漏の本体)と倶生・倶滅(ともに生じともに滅す)し、相互に増大し合うものを有漏という。


有漏法云何。謂、除道諦余有為法。所以者何。諸漏於中等随増故。〔『倶舎』1,T29-lc〕
言有漏者、謂、若諸法諸漏所生、諸漏麁重之所随縛、諸漏相応、諸漏所縁、能生諸漏、於去来今、為漏依止。〔『瑜伽』100、T30-880a〕

bhava-āsrava (S)

 三漏(欲漏・有漏・無明漏)の一つ。色界無色界の2界の煩悩。この2界の見所断修所断の煩悩より、各々、無明を取り去った合計52の煩悩をいう。

色無色界煩悩、除癡五十二物、総名有漏。謂、上二界根本煩悩、各二十六。〔『倶舎』20、T29-107c〕
諸色無色二界所繋一切煩悩、唯除無明、説名有漏〔『瑜伽』89、T30-802a〕