かほう

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果報

vipaaka (skt.) これは旧訳であり、新訳では異熟とする。

 果報とは、我々の現在の境界は、過去の因の結果であるからといい、またその業因に応じて報いたものであるからという。このように、果といおうが報といおうが、そのは一つであり、一切の衆生が生から死に至るまでの間に、自ら感受する吉凶のことを総括して果報という。

 この果報の二字を分別すれば、『法華経』方便品の十如是を明かす中に、因縁果報の四に分けて説明しており、因に対して果、縁に対して報というのが定まりであるとしている。正しく果を生ずべきものを因と言い、その因を助けて果をとらせるものを縁と言う。
 たとえば、米の種は因であり、農夫の力や雨露の潤いなどは縁である。これによって、当年の米が成熟した時に、昨年の米に対していえばこれは果であって、昨年の農夫雨露に対していえば報である。このように、我々は元々それぞれ三界の果を生ずべき種を具えており、これを因という。その時に、悪業をつくれば地獄界の因を助けて地獄の果を感ぜしめ、善業をなせば人間天上界の果を招く。すなわち、善悪の業を三界の果に対すれば、因ではなく縁である。よってこの縁に望めて、三界の果に、さらに報の名を与えている。
 ただし、これは因縁果報を分けて詳らかに義理を論じたまでのことで、果報の物体<もったい>は二つが異なるものではない。

 さて、果報の状体には苦楽好醜などの差別があるが、その性質としては悪性でも善性でもなく、無記性である。

果報土

 天台四土の一つで、実報無障碍土の別名。中道を証悟した圓別二教の菩薩が感得する勝妙の果報である。

果報は寝て待て

 幸運は人力ではどうすることもできないから、あせらないで静かに時機の来るのを待て。という意味のことわざ。

果報者

 幸せ者という意味。