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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

観察

vipaśyanā (S)、vīmaṃsaka (P)

 観察がvipaśanā(毘婆舎那)の訳語である場合は、「」と同じであり、止(śamatha 奢摩他)に対している。

 、すなわち澄みきった理知のはたらき、によってもろもろののすがたや性質を観察することを意味する。観察の対象たる法は、時に心の中に浮かべる種々のイメージ(その場合の観察は観想ともいう)であり、自身の心の本性(その場合の観察は観心ともいう)であり、あるいは、仏のもつ諸徳性(その場合の観察は観仏ともいう)であったりする。

 東アジアの浄土教では、観察はその実践の一部門(五念門の第4、五正行の第2)として重んぜられ、阿弥陀仏、その仏国土、およびそこに在る諸菩薩、それらのすぐれた徳性が観察の対象とされる。

初期仏教の観察

 観察する比丘は、他者の心の区別をよく知らない場合、如来について、「かれは正自覚者であるのか、そうでないのか」とこのように識るために、吟味を行なうべきである。    〔マッジマ・ニカーヤ No.47 観察経〕

 vīmaṃsakaには3種の観察者が説かれている。

  1. attha-vīmaṃsaka   自利(attattha)利他(parattha)などの利益を知る、利益の観察者
  2. sańkhāra-vīmaṃsaka 行の観察者、もろもろの有為法(sańkhara-dhamma)を自相(salakkhaṇa)より、平等相(sāmañña-lakkhaṇa)より、あるいは処(āyatana)などの区分より観察する者。
  3. satthu-vīmaṃsaka   師の観察者。「師は徳(guṇa)からこれだけのお方である」と師を観察する者。

上の経典では、この第3の師の観察者を語っている。