くう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
移動先: 案内検索

śūnya शून्य (S)、suñña सूञ्ञ (P)、舜若(しゅんにゃ)と音写。

 固定的実体の無いこと。実体性を欠いていること。原語のシューニヤは、「…を欠いていること」という意味である。
 インドの数学では、インド人が世界史上最初に発見したゼロを表す。このゼロという数により、たとえば十進法が可能となり、負数(マイナス)の概念も確立し、それはアラビアを通じて近代のヨーロッパに伝えられ、近代数学が誕生し、現代の自然科学や技術その他も開発され進展した。
 このśūnyaはśū(=śvā、śvi =膨張する)からつくられた śūna にもとづいて、空虚、欠如、ふくれあがって内部がうつろなどを意味し、初期の仏典にも登場する。

仏典の用例

自我に執着する見解を破り、世間を空として観察せよ 『スッタニパータ(1119)』
空虚な家屋に入って心を鎮める 『法句経(373)』
この講堂には牛はいない、牛についていえば空(欠如)である。しかし比丘がおり、比丘についていえば空ではない(残るものがある) (小空経)『中部121経、中阿含経(巻49)』

 欠如と残るものとの両者が、「空」の語の使用と重なり説かれる。これから「空」の観法という実践が導かれて、空三昧は無相三昧と無願三昧とを伴い、この三三昧を三解脱門とも称する。
 またこの用例は特に中期以降の大乗仏教において復活され、その主張を根拠づけた。
 また(大空経)『中部122経、中阿含経(巻49)』は「空」の種々相、内空と外空と内外空との三空などを示す。さらに、縁起思想との関係を示唆する資料もある『相応部20-7、雑阿含経(1258経)』。部派仏教における「空」の用例も初期仏教とほぼ同じで、「空」が仏教の中心思想にまでは達していない。

般若経の空

 大乗(マハーヤーナ)の説が般若経で初めて説かれると、ここでは「空」が反復して主張された。それはこの経の批判の対象となった説一切有部が一種の固定した型に膠着化したことによる。ここでは「空」は厳しい否定を表し、いっさいの固定を排除し尽くす。

龍樹の空観

 この「空」の理論の大成は龍樹によって果たされた(『中論』など)。
 龍樹は、あらゆる存在・運動・機能・要素その他、さらに、それぞれを表現する言葉そのものについて、各々がきわめて複雑多様な関係性(=縁起)の上に成立し、しかもその関係性は相互矛盾・否定をはらみつつ依存し合うことを明確に論じ、それは日常世界にまで及ぶ。
 ここに諸要素などの実体視による自性(それ自身で存在する独立の実体)が完全に消滅し去り、その根拠と実態を「空」と押え、こうして縁起―無自性―空という系列が確立し、また言葉も一種の過渡的なとして容認される。

衆因縁生の法は、我れ即ち是れを無(空)なりと説く。亦た是れを仮名と為す。亦た是れ中道の義なり。未だ嘗て一法として。因縁拠り生ぜざるもの有らず。是の故に一切法は、是れ空ならざる者なし    〔観四諦品第24 T30-33b〕
「śūnya」は形容詞であり、その名詞形の「śūnyatā शून्यता」は、空、空性、空であること、と訳される。