ぐう
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
共
共通を共といい、共通しない特殊を不共という。
共教
共通の教えを共教(ぐうきょう)といい、共通しない教えを不共教(ふぐうきょう)という。
例えば華厳宗では般若経を三乗に共通した共教とし、華厳経を菩薩のみのために説かれた不共教とする。
共依
二識以上の共通の所依となるものを共依(ぐうえ)といい、一識のみの所依となるものを不共依という。
例えば阿頼耶識は諸識のよって起こる根本となる共依であり、眼識のみの所依となる眼根などは不共依である。
共法
仏の有する功徳の中で他の聖者や凡夫に共通するものを共法(ぐうほう)といい、仏または菩薩だけに独特な功徳を不共法、詳しくは不共仏法という。
また一般に他と共通するものを共法といい、これを引生する業を共業(ぐうごう)という。他と共通しない独特のものを不共法といい、これを引生する業を不共業という。例えば山河大地などは共法であり、自己の身体などは不共法である。そのうち、
- 山河大地などは共中の共であり、
- 自己の家屋・庭園などは、共通のものでありながら実は特別の関係のある者だけが受用するから、共中の不共であり、
- 個人の身体などは不共のものでありながら衆人が共に受用するから、不共中の共であり、
- 個人の精神などは不共中の不共である。
共相
他の多くのものと共通する一般的な相を共相といい、そのものだけに固有な特殊な相を自相または不共相という。
例えば色には色の自相があるが、すべてのものは無我であるといえば無我は共相である。
なお、自相は言説を離れていて、ただ直覚(現量)によってのみ認められるという。
また肉体のような、その者だけが享受するものを不共相といい、山河大地のような、多くの者と共に享受するものを共相ということもある。