げどう

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外道

tiirtha-kara

  1. 仏教以外の他の宗教・哲学、またはそれらを信奉する人びとを総称した呼称。一般には仏教に対していう
  2. 道にはずれた人のことを貶していう

1)の場合は、インドに仏教が興った紀元前5-6世紀頃、ガンジス河中流南岸地域にあったマガダ地方に存在していた六師外道や、異教の思想一般を総称し、2)の場合は、むしろ異端邪説を語る人をさしていい、正論者からの貶称(へんしょう)である。

語源

 「外道」という訳語の原語は、他の教えを語る者(para-pravaadin)と他の宗派の祖、教祖(anya-tiirthya)がある。
 本来の意味は、渡し場、沐浴場、霊場を作る人(tiirtha-kara)のことをいい、一派の教祖、派祖を意味する。ジャイナ教の開祖も同じである。

 仏教の古い経典には、仏陀(釈尊)と同時代に6人の派祖・教祖がいて、

それぞれサンガ(僧団)やガナ(集団)を持ち、集団の師主として知識が広く、名声が高く、教祖として多くの人びとに尊敬されていた     〔長部(1-2)〕

とあるように、宗教家を意味していた。

大乗経典での解釈

 後代の大乗仏教経典において、明らかにそれらを外道邪見の意味で理解し、仏教以外の道を説く教祖・派祖を貶称して、その信奉者を外道の徒と軽視するようになった。
 その背景には、仏教が主張する縁起説に対して、仏陀時代の他の教祖たちは異なった主張、異説を唱えていたことがある。たとえば、

  • 万物はすべて自在神が化作(けさ)したものとする尊祐造論(そんゆうぞうろん)
  • すべては過去世に作った原因の結果で宿命的であるという宿作因論(しゅくさいんろん)
  • すべては偶然的で因も縁もなくして生じ、かつ滅するという無因無縁論(むいんむえんろん)

の三つが、三種外道として仏教から批判された。したがって、仏教はその当初より、仏教以外の宗教家を外道とする説と、仏教と対立する異教邪説を外道とする意味をもっていた。

外典

 宗教が一つの宗として独立し、その体制を整備するにしたがって、一つの宗が他の宗を批判の対象とするのは当然であり、その過程で対立する宗教・哲学を異端邪説としてしりぞけるのも自然の理である。六学派に代表されるインド諸哲学も、仏教からみれば外道哲学となる。
 仏教の経典を内典と呼び、それ以外の経典を外典(げてん)と呼ぶのも同様である。わが国の文学においては、むしろ

その尼を嫌(そね)みて言はく、汝は是れ外道なり     〔霊異記(下19)〕

などのように、2)の意味で使われる場合が多い。日常用語としては、人をののしる場合に用いられる語である。