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ごくどくもん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

五功徳門

 五念門の行を修めることによって浄土に往生して得るところの果徳。五果門ともいう。

  1. 近門     礼拝によって仏果に近づくこと。
  2. 大会衆門   讃嘆によって浄土の聖者(阿弥陀仏の聖衆)の仲間に入ること。
  3. 宅門     作願によって止(奢摩他)を成就すること。
  4. 屋門     観察によって観(毘婆舎那)を成就すること。
  5. 園林遊戯地門 回向によってさとりの世界から迷いの世界にたちかえって、自在に衆生を教化・救済することを楽しみとすること。

 『浄土論』では、はじめの4果を菩薩の入門(自利)、第5果を出門(利他)とするが、親鸞は「証巻」において5果のすべてを還相の益とする。


  5種の功徳の門、という意味。功徳五念門五果門などとも呼ばれる。五念門の因行に酬いて得ることのできる果報に、5種の功徳があることを言う。天親菩薩の『浄土論』に

 何者か五門なる。一には近門、二には大会衆門、三には宅門、四には屋門、五には園林遊戯地門なり。

とあるのがこれである。
 ここで3種の菩提障を遠離して、3種の菩提門に随順して、願と事とのふたつながら成就して、初めて浄土に至って大乗正定聚に入り、阿耨多羅三藐三菩提に近づくのを近門といい、浄土に生じ已って、如来の大会衆の数に入るのを大会衆門と言い、大衆の数に入り已って、修行安心の宅に至るのを宅門と言い、宅に入り已って、衆生所居の屋寓に至るのを屋門と言い、修行が成就し已って、教化地に至るのを園林遊戯地門と言うのである。前の4門は、入の功徳を示して、第5門は出の功徳を顕す。すべて、喩に従って名づけたものである。
 また、『浄土論』に

 入第一門とは、阿弥陀仏を礼拝し、かの国に生ぜんとなすをもつてのゆゑに、安楽世界に生ずることを得。これを入第一門と名づく。
 入第二門とは、阿弥陀仏を讃歎し、名義に随順して如来の名を称し、如来の光明智相によりて修行するをもつてのゆゑに、大会衆の数に入ることを得。これを入第二門と名づく。
 入第三門とは、一心専念にかしこに生ぜんと作願し、奢摩他寂静三昧の行を修するをもつてのゆゑに、蓮華蔵世界に入ることを得。これを入第三門と名づく。
 入第四門とは、専念にかの妙荘厳を観察し、毘婆舎那を修するをもつてのゆゑに、かの所に到りて種々の法味楽を受用することを得。これを入第四門と名づく。
 出第五門とは、大慈悲をもつて一切苦悩の衆生を観察して、応化身を示して、生死の園、煩悩の林のなかに回入して遊戯し、神通をもつて教化地に至る。本願力の回向をもつてのゆゑなり。これを出第五門と名づく。

という。これが礼拝等の五念門の因によって、次第のように近等の五功徳門の果を得ることを説いたものである。
 しかし、5種の因があることを知らそうとして、このように因果相対して5種の果を説明するのだが、理実には5念が相具して互いに5門の果を成就するものである。
 了慧の『往生論註拾遺鈔』巻下に

 一往其の浅深を論じて、五念の行を以て五門の果に配す。理実には五念倶に具して、互に五門の果を成ずるなり。何ぞ礼拝に限りて独り得生の因と為り、何ぞ独り讃歎のみを大会の因と為さんや。

というのは、こういう意味である。