さんろんしゅう

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三論宗

さんろんしゅう

三論宗は、日本に伝わった最初の宗派仏教であるが、その教学の大成者は嘉祥大師吉蔵である。その教えを受けた高麗慧灌が日本に来たのが625年(推古天皇33年)である。
三論宗とは中論百論十二門論という三部の論書によって一宗を立てたから、この名称が使われる。

中論

中論とは、龍樹の著作であり、般若経に説かれたの思想を体系付けたものであり、龍樹の基本的な思想がここに見られる。主として小乗仏教のとらわれの観念を打破して、八不中道正見を顕そうとしたもので、500の頌偈から出来上がっている。インドではさまざまな学系によってこの中論は研究され、この龍樹の学系を継ぐ者は中派または中観派と呼ばれた。この中論には、青目安慧清弁月称などの注釈書が残っている。
漢訳された中論は、この内の青目の注釈とともに、四巻本として後述の鳩摩羅什によって翻訳された。

百論

百論は、龍樹の弟子である提婆の著作である。提婆は、仏教以外の系統や、部派仏教の学説を盛んに論破した人である。ことに、百論は仏教以外の、いわゆる外道の学説を破斥した100の偈によってできている。ただし、漢訳では前半の50偈しか伝わっていない。
漢訳の百論は、婆薮開士の注釈とともに四巻として、鳩摩羅什に翻訳された。

十二門論

十二門論は、龍樹が空の思想を12の門に分けて述べたものであり、中論の偈が多く引かれているので、中論の入門書として作られたものであろうと考えられている。
なお、龍樹には大品般若経を注釈した大智度論があり、これらの三論と同じ空を説いているが、特定の経典を注釈した論書(別申論)であるから、これを所依の論書とはせず、全仏教を貫く道理を述べた通申論である三論を三論宗の正依の論とする。

中国での研究

この三論を中国に請来して翻訳したのは鳩摩羅什である。彼は、莎車国の王子、須利耶蘇摩から教えを受けた龍樹の学系の人であり、空思想と密接な関係のある経論を多く翻訳した。
彼の門弟には、僧肇僧叡曇影道生僧導などの三論の研究者が出た。道生や僧導が、江南に伝えて南地三論派の基礎を開いた。
また、僧肇や僧叡は北の長安を中心に広めた。僧肇は老荘の虚無思想と空思想を区別するために「約理二諦説」をとなえた。この一派から三論に大智度論を加えた四論学派が生まれ、曇鸞もこの派の学者であった。しかし、四論派は一宗として独立することはなく、天台や三論にその流れが残るだけとなった。
高麗の僧朗が長安に入って三論を学び、のち南斉時代に江南の摂山に移って研究を続けた。彼の門下に僧詮が出て、三論宗と成実宗を教えによって区別した「約教二諦説」を立てて、前の「約理二諦説」を説く僧肇たちを古三論、僧朗・僧詮以降を新三論と呼んだ。
僧詮の門下に法朗があり、その弟子の吉蔵によってこの宗は大成して一派となった。

日本での研究

日本には、前述の通り慧灌によって伝えられ、さらに慧灌の孫弟子である智蔵や、その弟子の道慈らが入唐して二伝・三伝した。そのため、飛鳥時代には三論宗だけが研究された。