じしょう
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
自性
svabhāva (S)
もの・ことが常に同一性と固有性とを保ち続け、それ自身で存在するという本体、もしくは独立し孤立している実体を、「自性」という。
部派のうち最大の説一切有部は、もの・ことや心理作用のいっさいを、諸要素ともいうべき法に分かち、通常は七十五法(五位七十五法)を掲げて、そのおのおのにそれぞれの自性を説く。
これを厳しく批判しつつ大乗仏教が興り、特に龍樹は、相依(相互否定や矛盾を含む)に基づく縁起説によって、実体と実体的な考えを根底から覆し、自性の否定である無自性(niḥsvabhāva)を鮮明にして、それを「空」に結びつけた。
生に二種有り。一には自性有るが故に名づけて生と為す。二には縁より起こるが故に名づけて生と為す
菩薩の自性慧とは能く一切の所知に悟入するを謂う
羝羊(ていやう)、自性無きが故に善に遷(うつ)る 〔十住心論(3)〕
自性天真の如来を信ずる人は、三身四智をも貴しとせず 〔夢中問答(上)〕