じゅうじ

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十地

 「地」は(S)ブーミ<bhūmi>の訳で、「住処」あるいは「住持」「生成」の意味である。その位を住み家とし、またその位における法をたもちそだてることによって、果を生みだすものをいう。

乾慧等の十地

 『大品般若経』巻6、巻17などに説かれ、三乗に共通なものであるから三乗共の十地、共地(ぐうじ)といい、天台宗では通教の十地という。『大品般若経』巻6には、乾慧からまでの十地において、菩薩は方便力によって六波羅蜜を行じ、また四念処から十八不共法までを順次に行じて、前九地を経て仏地に至るとし、この十地は菩薩の具えねばならないもので、ここにいう仏地とは、仏果を指すのではなく、菩薩が仏のように十八不共法などを行うこととする。
 また『大智度論』巻75には、この十地をそれぞれ三乗の階位に配当し、また智顗の『法華玄義』巻4下、『摩訶止観』巻6上にもこの意を承けて解釈している。それによると、
① 乾慧地(けんねじ)
 「過滅浄地、寂然雑見現入地、超浄観地、見浄地、浄観地」
 乾慧とは真理を観じようとする智慧はあっても、まだ禅定の水にうるおされていないことを意味し、この位は声聞の三賢位、菩薩の初発心から順忍を得る前までの位にあたる。
② 地(種性地、種地)
 声聞四善根位、菩薩の順忍を得た位で、諸法実相を愛著するが邪見を起こさず、智慧と禅定の伴った境地である。
③ 八人地(第八地、八地)
 人はの意で、声聞の見道十五心(八忍七智)の須陀洹向、菩薩の無生法忍にあたる。
④ 見地(具見地)
 声聞の四果の中の須陀洹果、菩薩の阿鞞跋致不退転)の位にあたる。
⑤ 薄地(柔軟地、微欲地)
 声聞は欲界九種の煩悩が一分、断たれた位で、須陀洹果あるいは斯陀含果、また菩薩ならば諸々の煩悩を断って余気も薄くなった位で、阿鞞跋致以後まだ成仏しない間の位である。
⑥ 離欲地(離食地、滅婬怒癡地)
 声聞は欲界の煩悩がなくなった位で、阿那含果、菩薩は欲を離れて五神通を得た位である。
⑦ 已作地(所作弁地、已弁地)
 声聞は尽智無生智を得た阿羅漢果、菩薩は仏地を成就した位である。
⑧ 辟支仏
 因縁の法を観じて成道したもの、縁覚ともいわれる。
⑨ 菩薩地
 前述の①乾慧地から⑥離欲地までを指し、あるいは後述の①歓喜地から⑩法雲地までを指すとみることもでき、初発心から金剛三昧まで、つまり菩薩としての最初から成道の直前までの位をいうとも解釈される。
⑩ 仏地
 一切極智などの諸仏の法が完全に具備した位。

智度論

 『大智度論』巻75には、この三乗共位の菩薩が無漏智によって、[[わく|惑]を尽くしてさとりを開くのについて、灯芯は初焔で燃えるとも後焔で燃えるとも定められないように、十地のどこで断惑するとも固定的に定められず、十地がみな互いにたすけあって仏果に至らせると説き、この喩えを焔炷の十地という。

歓喜等の十地

 旧訳の『華厳経』巻23以下、新訳の『華厳経』巻34以下、『仁王般若経』巻上、『合部金光明経』巻3などに説かれ、菩薩が修行の過程に経なければならない五二位中の第41から第50までの位である。菩薩はこの位に登るとき初めて無漏智を生じて仏性を見、聖者となって仏智をそだてたもつと共に、あまねく衆生をまもりそだてるから、この位を地位、十聖といい、地位にある菩薩を地上の菩薩、初地(初歓喜地)に登った菩薩を登地の菩薩、それ以前の菩薩を地前の菩薩、十住・十行・十廻向を地前の三十心という〈cf.菩薩の階位〉。

十住毘婆沙論

 なお『十住毘婆沙論』では、「地」を住処の意にとって、十地のことを十住と訳す。十地の名称を新訳の『華厳経』巻34によって挙げると(括弧内はサンスクリット及び異訳)

  1. 歓喜地(pramuditā-bhūmi) 極喜地、喜地、悦予地
  2. 離垢地(vimalā-bhūmi) 無垢地、浄地
  3. 発光地(prabhākarī-bhūmi) 明地、有光地、興光地
  4. 焔慧地(arcismatī-bhūmi) 焔地、増曜地、暉曜地
  5. 難勝地(sudurjayā-bhūmi) 極難勝地
  6. 現前地(abhimukhī-bhūmi) 現在地、目見地、目前地
  7. 遠行地(dūraṃgamā-bhūmi) 深行地、深入地、深遠地、玄妙地
  8. 不動地(acalā-bhūmi)
  9. 善慧地(sādhumatī-bhūmi) 善哉意地、善根地
  10. 法雲地(dharmameghā-bhūmi) 法雨地

であり、『瓔珞本業経』巻上には、
①鳩摩羅加(逆流歓喜地)
②須阿伽一波(道流離垢地)
③須那迦(流照明地)
④須陀洹(観明炎地)
⑤斯陀含(度障難勝地)
⑥阿那含(薄流現前地)
⑦阿羅漢(過三有遠行地)
⑧阿尼羅漢(変化生不動地)
⑨阿那訶(慧光妙善地)
⑩阿訶羅弗(明行足法雲地)
とし、『マハーヴァストゥ』<Mahāvastu>には、また異なった十地を説く。

大乗義章

 十地の解釈は一様ではないが、慧遠の『大乗義章』14では、
① 歓喜地  初めて聖者となって大いによろこびの心が起こる位で、浄心地、聖地、無我地、証地、見地、堪忍地ともいう。
② 離垢地  誤りを起こし戒を破り煩悩を増す心を離れた位で、具戒地、増上戒地ともいう。
③ 明地   禅定によって智慧の光を得、聞・思・修の三慧に従って、真理があかされる位。
④ 炎地   前三地のはからいによる見解を離れて、智慧の火が煩悩の薪を焼いて炎とし、智慧の本体をさとる、即ちその覚によって起こす阿含光が珠の光炎のようである位。
⑤ 難勝地  たしかな智を得てそれ以上に超えてすすむことが困難とされる位とも、また出世間の智を得て自由自在に方便をもって救い難いものを救う位ともいう。
⑥ 現前地  般若波羅蜜を聞いて大智がまのあたり顕れる位。
⑦ 遠行地  無相行を修め、心のはたらきが世間を超えはなれる位で、方便具足地(無相方便地)、有行有開発無相住ともいう。この位では上に求めるべき菩提もなく下に救うべき衆生もないとみて、無相寂滅の理に沈み、修行ができなくなるおそれがある。これを七地沈空琉の難という。しかし、この時十方の諸仏が七種の法で勧め励ますので再び修行の勇気をふるいおこして、第八地に進む。これを七勧という。
⑧ 不動地  無相の智慧がたえまなく起こって、決して煩悩に動かされない位で、各自在地、決定地、無行無開発無相住ともいう。
⑨ 善慧地  菩薩がさわりのない力で説法して利他行を完成し、智慧のはたらきが自在な位で、心自在地、決定行地、無礙住ともいう。
⑩ 法雲地  大法身を得て自在力を具える位で、究竟地、最上住ともいう。

菩薩地持経

 また『菩薩地持経』巻9の十二住のうち、第3歓喜住から第12最上菩薩住までは十地にあたり、同巻10の種性などの7地の説では、初地が第3浄心地、第2から第7地までが第4行跡地、第8地が第5決定地、第9地が第6決定行地、第10地及び仏地が第7畢竟地にあたる。また、初地を見道(通達位)、2地以上を修道(修習位)、あるいは7地及びそれ以前を有功用地、8地以上を無功用地、あるいは初・2・3地を信忍、4・5・6地を順忍、7・8・9地を無生忍、10地を寂滅忍、あるいは前5地を無相修、6・7地を無相修浄、8・9地を無相修果、10地を無相修果成、あるいは初地を願浄、2地を戒浄、3地を定浄、4・5・6地を増上慧、7地以上は上上出生浄とし、また地前を信地とするに対して十地全体を証地ということもある。また、十地の各地に入・住・出の三心があって、その地に入ってまだおちつかない時が入心、長く止まってその位がさかんな時が住心、終りに近づいて次の位に近づく時を出心という。

成唯識論

 『成唯識論』巻9には、この十地において順次に施・戒・忍・精進・静慮・般若・方便善巧・願・力・智の十波羅蜜(十勝行)を修めて、それぞれ異生性障・邪行障・闇鈍障・微細煩悩現行陣・於下乗般涅槃障・麁相現行障・細相現行陣・無相中作加行障・利他中不欲行障・於諸法中未得自在障の十重障を除き、それぞれ、遍行真如・最勝真如・勝流真如・無摂受真如・類無別真如・無染浄真如・法無別真如・不増減真如・智自在所依真如・業自在等所依真如の十真如をさとり、これによって煩悩・所知の二障を転じて菩提・涅槃の二果を得るとし、このうち7地までの菩薩は、有漏心と無漏心とがまじっているから分段生死または変易生死を受け、8地以上は無漏心のみであるから変易生死を受けるとする。

天台宗

 天台宗では、別教円教にそれぞれ十地の階位があるが、別教の初地に至るものは一品の無明を断っている点において円教の初住と証智が同等であるとし、これを初地初住証道同円という。故に別教の初地以上の菩薩はみな円教の行人となるから、別教の十地は教えには説かれていても、実際に修めるものはないとする(有教無人)。

華厳宗

 華厳宗では、『華厳経探玄記』巻9で十地を解釈して、根本からいえば、果海不可説〈cf.因分〉の性質のものであり、さとられる内容からいえば離垢真如であり、さとる智からいえば根本・後得・加行の三智であり、断つものがらからいえば、二障を離れるのであり、修める行からいえば修願行から受位行までであり、何を修め成就するかといえば、初地は信楽行、2地は戒行、3地は定行、4地以上は慧行であり、位からいえば、証位と阿含位であり、乗からいえば(十地寄乗)、初・2・3地は人天乗、4・5・6・7地は三乗、8地以上は一乗で、その位に寄せて行を示せば、十波羅蜜の一々にあたり、現実のむくいに寄せていえば(十地寄報)、閻浮提王から摩醯首羅天王までの十王となってすべおさめ、三宝を念じて衆生を導くとする。

浄土真宗

 真宗では、他力の信心を得れば必ず仏になれることに定まって、よろこびが多いから、これを歓喜地とする。
 世親の『浄土論』には、菩薩が衆生を救うために種々のすがたをとって迷界に遊ぶ位を教化地といい、曇鸞の『浄土論註』巻下には、それを八地以上の菩薩であるとし浄土に生まれて仏となったものが再び還相廻向のはたらきによって、迷界に出るのをいう。また、この教化地という語を教化すべき場所、即ち迷界の意とすることがある。