じゅうじ
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目次
十地
daśa-bhū: daśa-bhūmi: daśa-bhūmayaḥ (S)
「地」は(S)ブーミ<bhūmi>の訳で、「住処」あるいは「住持」「生成」の意味である。その位を住み家とし、またその位における法をたもちそだてることによって、果を生みだすものをいう。
十住経
- 何等か是れ諸もろの菩薩摩訶薩の智地なりや。諸もろの仏子よ。菩薩摩訶薩の智地に十有り。過去・未末・現在の諸仏、已に説き、今説き、当さに説くべし。是の地の為めの故に我れ是の如く説く。何等か十と為すや。一は喜地と名づく。二は浄地と名づく。三は明地と名づく。四は焔地と名づく。五は難勝地と名づく。六は現前地と名づく。七は深遠行地と名づく。八は不動地と名づく。九は善慧地と名づく。十は法雲地と名づく。諸もろの仏子よ。是の十地は三世の諸仏、已に説き、今説き、当さに説くべし。〔十住経、T10,498b-c〕
- tatra bhavanto jinaputrāś ca daśa bodhisattvabhūmayo 'titānāgatapratyutpannair buddhair bhagavadbhir bhāṣiāś ca bhāṣiṣiyante ca bhāṣiyante ca yāḥ saṃdhāyāham evaṃ vadāmi. katamā daśa, yad uta pramuditā ca nāma bodhisattvabhūmiḥ. vimalā ca nāma. prabhākari ca nāma. arciṣmati ca nāma. sudujayā ca nāma. adhimukhi ca nāma. dūraṃgamā ca nāma. acalā ca nāma. sādhujayā ca nāma. dharmameghā ca nāma bodhisattvabhūmiḥ. imā bhavanto jinaputrā daśa bodhisattvānāṃ bodhisattvabhūmayaḥ, yā atitānāgatapratyutpannair buddhair bhagavadbhir bhāṣiṣyante ca bhāṣyante ca.〔daśabhūmikasūtra, Rahder ed. p.5〕
- 唯諸仏子、一切菩薩有十智地。是以過去未末現在諸仏、已説当説今説。由此密意我作是言。〔十地経 T10-536b〕
- 唯だ、諸もろの仏子よ、一切の菩薩に十の智地有り。是れを以って過去・末末・現在の諸仏、已に説き、当さに説き、今説く。此の密意に由って我れ是の言を作す。
- tāśca bhagavanto jinaputrā daśa bodhisattvānāṃ bodhisattva-bhūmayo, yā atītānāgatapratyutpannair buddhair bhagavadbir bhāṣitāśca bhāṣyante ca bhāṣante ca, yāḥ samdhyāyāham evaṃ vadāmi 〔Kondo ed. p.6, ll.13-15〕
- また汝ら仏子たちよ、私が特別に意図してこのように説いているものは、諸もろの菩薩の十の菩薩地であって、それら菩薩地は、過去の諸仏世尊もすでに説いており、末来の諸仏世尊も説くであろうし、現在の諸仏世尊も説いている。
- 此中十地法 去来今諸仏 為諸仏子故 已説今当説〔十住毘婆沙論 入初地品第2〕
- 此の中、十地の法は去・来・今の諸仏が諸もろの仏子の為めの故に已に説き今〔説き〕当さに説く
華厳経
『華厳経』に説く十地、『梵網経巻上』の十地に相当する。今、『60華厳経第23十地品』に従って名のみを挙げれば次のごとくである。
- 歓喜地
- 離垢地
- 明地
- 焔地
- 難勝地
- 現前地
- 遠行地
- 不動地
- 善慧地
- 法雲地
宝行王正論
龍樹の著作の『宝行王正論』(Ratnāvali)は、一部を欠くがサンスクリッ卜原典も伝わり、またチベッ卜語訳も存在する。この書は、5章からなり、全体で五百余偈がある。この第5章に、『十地経』の所説が要約して説かれている。
たとえば、声聞乗において八声聞地が説かれているように、大乗において菩薩の十地が説かれる。(40)
それらのうち、初地は歓喜、菩薩が歓喜するからである。なぜなら三種の結縛を断って如末の家に生まれるからである。(41)
この果報にょって、完全な徳である施し(布施波羅蜜)にすぐれ、百の世界を震動させる閣浮州(人間世界)の大自在者となる。(42)
第二地は無垢といわれる。身と語と心にょる十種の行ない(業)がすべて汚れがないからである。なぜなら自然にそれらを固く守るからである。(43)
この果報にょって、完全な徳である戒め(戒波羅蜜)にすぐれ、栄光ある七宝の主であり世界を利益する転輪王となる。(44)
第三地は発光、寂静なる智慧の光が生じるからである。なぜなら禅定と神通を生じることから貪りと怒りが滅尽するからである。(45)
この果報にょって忍耐と努力をとくに修め、天の大王となり、欲貪を退けるのに巧みとなる。(46)
第四地は焙慧といわれる。正しい智慧の光が生じるからである。なぜなら悟りに関係あるもの(三十七菩提分)をことごとくとくに修めるからである。(47)
この果報にょって須夜摩天王となり、自己への執着(有身見)との結合を打ちくだくのに巧みとなる。(48)
第五地は難勝、いかなる魔も打ち勝つことができないからである。なぜなら四聖諦などの微妙な意味を知ることに巧みとなっているからである。(49)
この果報によって兜率天王となり、あらゆる異教徒における煩悩の見の根拠を退けるものとなる。(50)
第六地は現前といわれる。仏法を目の前にするからである。なぜなら止と観とを修習することにょって滅をえて偉大となるからである。(51)
この果報によって化楽天王となり、声聞たちによって破られることなく、増上慢の者を制するものとなる。(52)
第七地は遠行といわれる。功徳の数がはるかに遠く及んでいるからである。なぜならこの地においては刹那ごとに滅尽定に到るからである。(53)
この果報によって自在天王となり、四聖諦を現観する智慧のある師の大王となる。(54)
第八地は童子地また不動、動じることがないからである。なぜなら不動である身と語と心の領域は想像もつかないからである。(55)
この果報にょって千世界の主である梵天王となり、意味を明確にする点において阿羅漢、独覚などはるかに及ぶことがない。(56)
第九地は善慧といわれる。法王子のようであるからである。なぜなら四無礙智を得て、この地においては智慧が卓越するからである。(57)
この果報にょって二千世界の主である梵天王となり、生きとし生けるものの願いをたずねることにおいて阿羅漢などはるかに及ぶことがない。(58)
第十地は法雲、正しい法の雨が降るからである。なぜなら菩薩や仏が浄らかな光明をもって灌頂するからである。(59)
この果報によって浄居天王となり、不可思議なる智慧の世界の主として最もすぐれた大自在天王となる。(60)
乾慧等の十地
『大品般若経』巻6、巻17などに説かれ、三乗に共通なものであるから三乗共の十地、共地(ぐうじ)といい、天台宗では通教の十地という。『大品般若経』巻6には、乾慧から仏までの十地において、菩薩は方便力によって六波羅蜜を行じ、また四念処から十八不共法までを順次に行じて、前九地を経て仏地に至るとし、この十地は菩薩の具えねばならないもので、ここにいう仏地とは、仏果を指すのではなく、菩薩が仏のように十八不共法などを行うこととする。
また『大智度論』巻75には、この十地をそれぞれ三乗の階位に配当し、また智顗の『法華玄義』巻4下、『摩訶止観』巻6上にもこの意を承けて解釈している。それによると、
① 乾慧地(けんねじ)
「過滅浄地、寂然雑見現入地、超浄観地、見浄地、浄観地」
乾慧とは真理を観じようとする智慧はあっても、まだ禅定の水にうるおされていないことを意味し、この位は声聞の三賢位、菩薩の初発心から順忍を得る前までの位にあたる。
② 性地(種性地、種地)
声聞の四善根位、菩薩の順忍を得た位で、諸法実相を愛著するが邪見を起こさず、智慧と禅定の伴った境地である。
③ 八人地(第八地、八地)
人は忍の意で、声聞の見道十五心(八忍七智)の須陀洹向、菩薩の無生法忍にあたる。
④ 見地(具見地)
声聞の四果の中の須陀洹果、菩薩の阿鞞跋致(不退転)の位にあたる。
⑤ 薄地(柔軟地、微欲地)
声聞は欲界九種の煩悩が一分、断たれた位で、須陀洹果あるいは斯陀含果、また菩薩ならば諸々の煩悩を断って余気も薄くなった位で、阿鞞跋致以後まだ成仏しない間の位である。
⑥ 離欲地(離食地、滅婬怒癡地)
声聞は欲界の煩悩がなくなった位で、阿那含果、菩薩は欲を離れて五神通を得た位である。
⑦ 已作地(所作弁地、已弁地)
声聞は尽智・無生智を得た阿羅漢果、菩薩は仏地を成就した位である。
⑧ 辟支仏地
因縁の法を観じて成道したもの、縁覚ともいわれる。
⑨ 菩薩地
前述の①乾慧地から⑥離欲地までを指し、あるいは後述の①歓喜地から⑩法雲地までを指すとみることもでき、初発心から金剛三昧まで、つまり菩薩としての最初から成道の直前までの位をいうとも解釈される。
⑩ 仏地
一切極智などの諸仏の法が完全に具備した位。
智度論
『大智度論』巻75には、この三乗共位の菩薩が無漏智によって、惑を尽くしてさとりを開くのについて、灯芯は初焔で燃えるとも後焔で燃えるとも定められないように、十地のどこで断惑するとも固定的に定められず、十地がみな互いにたすけあって仏果に至らせると説き、この喩えを焔炷の十地という。
歓喜等の十地
旧訳の『華厳経』巻23以下、新訳の『華厳経』巻34以下、『仁王般若経』巻上、『合部金光明経』巻3などに説かれ、菩薩が修行の過程に経なければならない五二位中の第41から第50までの位である。菩薩はこの位に登るとき初めて無漏智を生じて仏性を見、聖者となって仏智をそだてたもつと共に、あまねく衆生をまもりそだてるから、この位を地位、十聖といい、地位にある菩薩を地上の菩薩、初地(初歓喜地)に登った菩薩を登地の菩薩、それ以前の菩薩を地前の菩薩、十住・十行・十廻向を地前の三十心という〈cf.菩薩の階位〉。
十住毘婆沙論
なお『十住毘婆沙論』では、「地」を住処の意にとって、十地のことを十住と訳す。十地の名称を新訳の『華厳経』巻34によって挙げると(括弧内はサンスクリット及び異訳)
- 歓喜地(pramuditā-bhūmi) 極喜地、喜地、悦予地
- 離垢地(vimalā-bhūmi) 無垢地、浄地
- 発光地(prabhākarī-bhūmi) 明地、有光地、興光地
- 焔慧地(arcismatī-bhūmi) 焔地、増曜地、暉曜地
- 難勝地(sudurjayā-bhūmi) 極難勝地
- 現前地(abhimukhī-bhūmi) 現在地、目見地、目前地
- 遠行地(dūraṃgamā-bhūmi) 深行地、深入地、深遠地、玄妙地
- 不動地(acalā-bhūmi)
- 善慧地(sādhumatī-bhūmi) 善哉意地、善根地
- 法雲地(dharmameghā-bhūmi) 法雨地
であり、『瓔珞本業経』巻上には、
- 鳩摩羅加(逆流歓喜地)
- 須阿伽一波(道流離垢地)
- 須那迦(流照明地)
- 須陀洹(観明炎地)
- 斯陀含(度障難勝地)
- 阿那含(薄流現前地)
- 阿羅漢(過三有遠行地)
- 阿尼羅漢(変化生不動地)
- 阿那訶(慧光妙善地)
- 阿訶羅弗(明行足法雲地)
とし、『マハーヴァストゥ』<Mahāvastu>には、また異なった十地を説く。
大乗義章
十地の解釈は一様ではないが、慧遠の『大乗義章』14では、
① 歓喜地 初めて聖者となって大いによろこびの心が起こる位で、浄心地、聖地、無我地、証地、見地、堪忍地ともいう。
② 離垢地 誤りを起こし戒を破り煩悩を増す心を離れた位で、具戒地、増上戒地ともいう。
③ 明地 禅定によって智慧の光を得、聞・思・修の三慧に従って、真理があかされる位。
④ 炎地 前三地のはからいによる見解を離れて、智慧の火が煩悩の薪を焼いて炎とし、智慧の本体をさとる、即ちその覚によって起こす阿含光が珠の光炎のようである位。
⑤ 難勝地 たしかな智を得てそれ以上に超えてすすむことが困難とされる位とも、また出世間の智を得て自由自在に方便をもって救い難いものを救う位ともいう。
⑥ 現前地 般若波羅蜜を聞いて大智がまのあたり顕れる位。
⑦ 遠行地 無相行を修め、心のはたらきが世間を超えはなれる位で、方便具足地(無相方便地)、有行有開発無相住ともいう。この位では上に求めるべき菩提もなく下に救うべき衆生もないとみて、無相寂滅の理に沈み、修行ができなくなるおそれがある。これを七地沈空琉の難という。しかし、この時十方の諸仏が七種の法で勧め励ますので再び修行の勇気をふるいおこして、第八地に進む。これを七勧という。
⑧ 不動地 無相の智慧がたえまなく起こって、決して煩悩に動かされない位で、各自在地、決定地、無行無開発無相住ともいう。
⑨ 善慧地 菩薩がさわりのない力で説法して利他行を完成し、智慧のはたらきが自在な位で、心自在地、決定行地、無礙住ともいう。
⑩ 法雲地 大法身を得て自在力を具える位で、究竟地、最上住ともいう。
菩薩地持経
また『菩薩地持経』巻9の十二住のうち、第3歓喜住から第12最上菩薩住までは十地にあたり、同巻10の種性などの7地の説では、初地が第3浄心地、第2から第7地までが第4行跡地、第8地が第5決定地、第9地が第6決定行地、第10地及び仏地が第7畢竟地にあたる。また、初地を見道(通達位)、2地以上を修道(修習位)、あるいは7地及びそれ以前を有功用地、8地以上を無功用地、あるいは初・2・3地を信忍、4・5・6地を順忍、7・8・9地を無生忍、10地を寂滅忍、あるいは前5地を無相修、6・7地を無相修浄、8・9地を無相修果、10地を無相修果成、あるいは初地を願浄、2地を戒浄、3地を定浄、4・5・6地を増上慧、7地以上は上上出生浄とし、また地前を信地とするに対して十地全体を証地ということもある。また、十地の各地に入・住・出の三心があって、その地に入ってまだおちつかない時が入心、長く止まってその位がさかんな時が住心、終りに近づいて次の位に近づく時を出心という。
成唯識論
『成唯識論』巻9には、この十地において順次に施・戒・忍・精進・静慮・般若・方便善巧・願・力・智の十波羅蜜(十勝行)を修めて、それぞれ異生性障・邪行障・闇鈍障・微細煩悩現行陣・於下乗般涅槃障・麁相現行障・細相現行陣・無相中作加行障・利他中不欲行障・於諸法中未得自在障の十重障を除き、それぞれ、遍行真如・最勝真如・勝流真如・無摂受真如・類無別真如・無染浄真如・法無別真如・不増減真如・智自在所依真如・業自在等所依真如の十真如をさとり、これによって煩悩・所知の二障を転じて菩提・涅槃の二果を得るとし、このうち7地までの菩薩は、有漏心と無漏心とがまじっているから分段生死または変易生死を受け、8地以上は無漏心のみであるから変易生死を受けるとする。
真理をさとった菩薩が最高
のさとり(無上正覚)を得ることを目指して
さらに修行を進めていく十の心境・境界。
の10項目。順序を付して初めの極喜地を初地、次の離垢地を第2地、ないし法雲地を第10地という。初地は入心と住心と出心との3心から成り立つが、そのなかの入心を見道、住心以後から第十地の最後心、すなわち出心(金剛喩定の無間道)までを修道に配する。〔解深密経4、T16-70a-b〕〔成唯識論9、T31-51a-b〕
天台宗
天台宗では、別教・円教にそれぞれ十地の階位があるが、別教の初地に至るものは一品の無明を断っている点において円教の初住と証智が同等であるとし、これを初地初住証道同円という。故に別教の初地以上の菩薩はみな円教の行人となるから、別教の十地は教えには説かれていても、実際に修めるものはないとする(有教無人)。
華厳宗
華厳宗では、『華厳経探玄記』巻9で十地を解釈して、根本からいえば、果海不可説〈cf.因分〉の性質のものであり、さとられる内容からいえば離垢真如であり、さとる智からいえば根本・後得・加行の三智であり、断つものがらからいえば、二障を離れるのであり、修める行からいえば修願行から受位行までであり、何を修め成就するかといえば、初地は信楽行、2地は戒行、3地は定行、4地以上は慧行であり、位からいえば、証位と阿含位であり、乗からいえば(十地寄乗)、初・2・3地は人天乗、4・5・6・7地は三乗、8地以上は一乗で、その位に寄せて行を示せば、十波羅蜜の一々にあたり、現実のむくいに寄せていえば(十地寄報)、閻浮提王から摩醯首羅天王までの十王となってすべおさめ、三宝を念じて衆生を導くとする。
華厳宗、ことに『華厳経』「十行品」では、「十地」を「じゅつじ」と読む。まとめると、次のようである。
- 歓喜地 正しい智慧を得て歓喜する
- 離垢地 戒を守って心の垢を離れる
- 明地 陀羅尼を得、智慧が明らかになる
- 焔地 智慧の焔によって煩悩を焼く
- 難勝地 断じがたい無明の煩悩を断ずる
- 現前地 縁起への智慧が現前する
- 遠行地 修行が深まり、声聞・縁覚の境をはるかに超えていく
- 不動地 無分別智が自由に働き、煩悩に乱されない
- 善慧地 説法教化が自由自在で、善く法を説く
- 法雲地 智慧は大雲のようで、甘露の雨を降らす
浄土真宗
真宗では、他力の信心を得れば必ず仏になれることに定まって、よろこびが多いから、これを歓喜地とする。
世親の『浄土論』には、菩薩が衆生を救うために種々のすがたをとって迷界に遊ぶ位を教化地といい、曇鸞の『浄土論註』巻下には、それを八地以上の菩薩であるとし浄土に生まれて仏となったものが再び還相廻向のはたらきによって、迷界に出るのをいう。また、この教化地という語を教化すべき場所、即ち迷界の意とすることがある。
十事
釈尊の入滅から百年ほどたったころ、仏教の内部では、とくに戒律をめぐって大きな意見の対立が生じた。伝承によれば、争点は10あったといわれる。いわゆる十事がこれで、戒律に新解釈を与え、ゆるやかなものとして、時代にあったものにしたらどうかという動きに源を発している。
たとえば、塩浄(えんじょう)いう項目がある。塩は食材であり、食材、食料は、貯蔵が禁じられている。ところが、塩は薬として用いられることもある。薬ならば貯蔵してもいいのではないかと、そのような新しい解釈に立つ人びとが現れた、のである。
また、布施としての金銀を受け取って管理するのは在家信者の役目であって、出家はそのようなことをしてはならない。ところが、このころになると、出家が金銀を受け取って管理し、金融業にまで手をそめるような事態が発生した。
事件は、ヤサという保守的な比丘が、商業都市ヴェーサーリーの比丘たちが金銀を受け取っているのを目撃し、これを告発したことにはじまった。ヤサの告発は、排斥された。そこでヤサは、周辺地域の保守的な比丘たちに応援を求め、ここに十事(戒律の新案としての十項目)の審議会が開かれた。この審議会では、厳格派の長老たちによって十事は否決されたが、不服をいだいた改革派の多数の比丘たちは分派した。
そこで長老たちは、あらためて経典の編集を敢行した。これを第二結集という。