浄信
きよらかな信心の意味で、他力信心のこと。衆生の顛倒・うそいつわりの心からではなく、真如にかなった阿弥陀仏の清らかな願心から起こり、衆生に回向された信心であるからこのようにいう。
- 浄信といふは、すなはち利他深広の信心なり。すなはちこれ念仏往生の願より出でたり 〔文類聚鈔 p.480〕
浄信
生没年未詳
親鸞の門弟。『交名牒』」には「七条次郎入道」とあり、洛中居住の弟子としてその名が見える。また『御消息』第20通〔p.778〕に出る浄信について『末灯鈔』の諸本には「高田門人」と伝えるものもある。浄信の名は『御消息』第32通〔p.795〕にも出るが、第20通に出る浄信との異同は不明である。