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ぜんむい

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

善無畏

Śubhākarasiṃha (S) 輸波迦羅(ゆばから)と音写。637-735
 インド出身の翻訳僧で、中インドのマカダ国の王であったが、兄たちの反乱と、その征伐の際の負傷により仏門に入り、ナーランダ寺で達摩掬多(だるまきくた、Dharmagupta)に密教を学んだ。

 龍智菩薩(りゅうちぼさつ)の弟子、金剛智(こんごうち)三蔵と同門。師の命によりサンスクリット原典(梵夾(ぼんきょう))を持って中央アジアから716年(開元4)長安に来る。玄宗により国師として迎えられ、興福寺南塔院に住んだが、724年洛陽の大福先寺に移って、弟子の一行の協力を得て『大日経』7巻を翻訳し、中国密教の確立に貢献した。
 その際、訳場に列した一行が善無畏の『大日経』の講義を記しまとめたものが『大日経疏(だいにちきょうしょ)』である。

 開元23年、99歳で死去。訳書は25部45巻。

『貞元新定釈経録(じょうげんしんじょうしゃくきょうろく)』巻14の抄録

善無為