ちごん
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智儼
Zhi_yan、602年-668年10月29日、至相大師、雲華尊者ともいう。
中国、唐の華厳宗の第2祖。12歳で出家し、杜順に師事した。『華厳経』の講義に力を入れ、法蔵はこれを聞いて入門したといわれる。
著書
- 華厳経捜玄記
- 華厳孔目章(けごんくもくしょう)
- 華厳五十要問答
智厳
生没年不詳。中国東晋(とうしん)代の訳経僧。西涼(甘粛(かんしゅく)省)の出身。
若くして出家し、法を求めて西域(さいいき)に旅し、罽賓(カシミール)においてブッダセーナ(仏駄先(ぶつだせん))から禅を学び、3年ののちブッダバドラ(仏陀跋陀羅)を請じて帰国した。
のち、山東の精舎にとどまり、坐禅(ざぜん)と誦経(じゅきょう)を事としたが、416年(義煕12)ころ、長安を征服した劉裕(りゅうゆう)(後の宋(そう)の武帝)に従って建康(けんこう)(南京(ナンキン))に行き、始興(しこう)寺、ついで枳園(きおん)寺に住した。
427年(元嘉4)には宝雲とともに『普曜経(ふようきょう)』八巻、『広博厳浄経(こうはくごんじようきよう)』四巻など14部36巻を訳出している。のち、ふたたびインドに赴き、帰路罽賓で没した。78歳であったという。