ちしき

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知識

 「知識」と訳しうるサンスクリット語としては、jñāna、buddhi、pratīti、pratyaya、upalabdhi、adhigamaなどがある。知識の分類は各学派ごとに、また、一つの学派の内部においてもさまざまであるが、大まかには、知識は、記憶(smaraṇa)と新得知(anubhava)とに分けられる。新得知は、いまだ知られていないものどとについて新たに得られた知識のことである。記憶は、いったん得られた知識が潜在的形成力(サンスカーラ)となったもの、あるいは、それにもとづく想起のことである。新得知は、さらに知識手段に対応して、直接知などに分けられる。この数は、学派によってまちまちである。ヴェーダの聖仙たちの知識、ヨーガ行者たちの知識は、独立の新得知とされたり、直接知のなかにおさめられたりする。
 また、再認識(pratyabhijñā)は、直接知のなかにおさめられたり、記憶と直接知とが合体したものであるとされたりするが、カシュミールのシヴァ派では、さとりとでもいうべき最高の知識を意味する。
 一般に、知識は自我の性質であるとされるが、サーンキヤ派、ヴェーダーンタ派では、純粋知としての自我(プルシャ、アートマン)、ないしブラフマンそのものであるとされる。また、知識が成立するということは、知識(pramā)と知識手段(pramāṇa)と知られるものごと(prameya)と知識をもつもの(pramātṛ)の4者がそこにあるということである。ニヤーヤ・ヴァイシェーシカ派などでは、この4者はそれぞれまったく別のものであるが、ヴェーダーンタ派では、4者は究極的には同じものであることになる。というのも、この学派では、究極的にあるものは純粋知であるブラフマンのみであり、一切のものごとは、そのブラフマンがさまざまな制約を受けた結果にほかならないとされているからである。一般に、はじめに得られた知識は、さらに別の知識の対象になる。たとえば、「これは銀である」という知識Aが生じた直後に、その知識を対象とする「これは銀であるとわたしは知る」という知識Bが生ずる。ニヤーヤ・ヴァイシェーシカ派ならびに、ミーマーンサー派のムラーリミシュラ(Murārimiśra)は、知識Aを、決知(vyavasāya)、知識Bを、追決知(anuvyavasāya)という。追決知はマナスから生ずる直接知であるとされる。これに対してミーマーンサー派のプラーバーカラ派は、あるのは決知のみであり、いわゆる追決知は決知とまったく同一であるとする。この派にとって、知識は、「自らを照らすもの(svaprakāza)」なのである。この考えは、自己認識(svasaṃvid)を想定する仏教の考えにきわめて近い。

ニヤーヤ・ヴァイシェーシカ派

 この両学派によれば、知識は、24ある性質の一つ、それも、自我に固有の性質である。知識としては、記憶と新得知とがあり、新得知は、直接知、推理、類比、言語という知識手段に応じて、直接知、推理知、類比知、言語による知識の四種であるとされる。
 ただし、『ヴァイシェーシカ・スートラ(Vaiśeṣika-sūtra)』など、初期のヴァイシェーシカ派の文献では、直接知と推理知の2種であるとされる。すべての知識は、自我とマナスの接触を原因とする。これが直接知になると、この接触にさらに感官と対象の接触が連結される。マナスは、それぞれの個体にただ一つそなわり、原子大で非常な高速で動きまわることができるとされており、直接知の場合には、対象と接触した一つの感官と自我のあいだを瞬間のうちに橋渡しするという。したがって、太鼓が叩かれているのを見聞きしているときに、視覚と聴覚とが同時に成立することはありえない。この両学派では、2つの知識が両立することはないとされる。ただし、この両立不可というのは、同時に2つの知識がならび立つことがないという、文字通りの両立不可ではなく、殺されるものと殺すものとの関係を意味する。一つの知識は、もう一つの知識が生じた瞬間には存在するが、その次の瞬間には消滅するというわけである。
 この両学派は、知識の対象を、限定(viśeṣaṇa、あるいはprakāra)と限定されるもの(viśeṣya)(および、その両者の関係)とに分析する。この分析に応じて、知識は、限定の知識(viśeṣaṇa-jñāna)と限定されたものの知識(viśiṣṭa-jñāna)に分類される。後者は、限定を有する限定されるものの知識(viśeṣaṇavad-viśeṣya-jñāna)とも称せられる。限定されたものの知識には、必ず限定の知識が先行する。たとえば、「これは銀である」(idaṃ rajatam)という知識には、銀性(rajatatva)を捉える知識が、また、「これは杖を有する人である」(ayaṃ daṇḍī)という知識には杖(daṇḍa)を捉える知識が先行する。さらに、限定 されたものの知識は、知識としては、いわば完成されたものであり、決知と称せられる。この決知にただちにひきつづいて追決知が生じ、それが消滅し、潜在的形成力、つまり記憶に転ずる。また、ある知識に対しては限定の知識であっても、別の知識に対しては限定されたものの知識であるということがある。たとえば、杖を捉える知識は、「これは杖を有する人である」という知識に対しては限定の知識であるけれども、杖性を捉える知識に対しては限定されたものの知識である。こうして、先行する限定の知識をつきつめていくと、もはやそれ以上に先行する限定の知識をもたない、いわば純粋の、限定の知識でしかない知識というものに行きつく。たとえば、「これは銀である」という知識に対する限定の知識である銀性を捉える知識には、先行する限定の知識はない。こうした限定の知識でしかない知識は、それに続く限定されたものの知識を生ずるだけで消滅してしまい、記憶に転化することはないとされる。
 ちなみに、直接知は、無分別知(nirvikalpaka-jñāna)と有分別知(savikalpaka-jñāna)とに大別される。無分別知は、「限定と限定されるものとの関係を捉えない知識」と定義され、有分別知は、「限定と限定されるものとの関係を捉える知識」と定義される。そして、無分別知は、有分別知に先行し、その原因となる知識であるとされる。ということは、無分別知は必ずや限定の知識、有分別知は必ずや限定されたものの知識であるということになる。

その他の諸学派

 サーンキヤ派では、知識手段として、直接知、推理、言語を、ヴェーダーンタ派とミーマーンサー派のバーッタ派では、直接知、推理、類比、論理的帰結、不知、言語を立てる。したがって、独立した新得知としては、前者は3種の、後者は6種の知識を認める。
 これらの学派のなかで、特にヴェーダーンタ派の知識論は異彩を放っている。不二一元論派のシャンカラ(Śańkara)によれば、「知る」ということは成りたたないという。というのは、知識というのはブラフマンにほかならないが、ブラフマンは無活動のものであるとされるから、「知る」という行為(動詞)の主体(主語)にはなりえない。また、自我意識の主体(ahaṃkartṛ)である覚(buddhi、統覚)は、知性を有しないものであるから、知識の持ち主ではありえない。つまるところ、ブラフマンの本性である知識を付託された覚が、あたかも「知る」かのような行為をなすというにすぎず、真実にはそのような行為は虚妄であるとする。
 ダルマラージャ・アドヴァリーンドラ(Dharmarāja-adhvarīndra)が著わした不二一元論派の綱要書『ヴェーダーンタ・パリバーシャー(Vedānta-paribhāSāṣ)』によれば、ブラフマン、つまり純粋知は、世俗的な次元においては3種類に分類される。その3種類とは、対象としての純粋知と、知識手段としての純粋知と、知識主体としての純粋知のことである。そのうち、対象としての純粋知とは、水がめなどによって局限された(avacchinna)純粋知のことである。知識手段としての純粋知とは、内官の変容態(antaḥkaraṇavṛtti)によって局限された純粋知のことである。知識主体としての純粋知とは、内官によって局限された純粋知のことである。たとえば、得られた知識が直接知であるというのは、対象によって局限された純粋知と内官の変容態によって局限された純粋知とが異ならないことを意味する。また、同書によれば、内官の変容態というのは次のようなものだという。たとえば、貯水地の水が穴から外に出て、水路を通って田に入り、その田とまったく同じ四角形などのかたちをとるように、光よりなる内官も、眼(視覚器官)などから外に出て、水がめなどという対象のある場所に達し、水がめなどという対象のかたちに変容するが、そうした変容が内官の変容態と称せられるのである、と。

ジャイナ

 知識(jñāna)は霊魂(jīva)にそなわる本性の一つである。それは本来無限であるが、通常は業のために、有限で不完全なかたちでしか現われない。業が完全に滅せられたときにのみ、霊魂は完全な知識(kevala-jñāna、独存知)を回復し、全知者(kevalin)となる。伝統的なジャイナ教の知識論は、この完全な知識を第5のものとする、5つの知識のカテゴリーを中心として展開した。5つとは、

  1. 感覚と思考器官による知識(mati-jñāna)
  2. 聖典の教えによる知識(śruta-jñāna)
  3. (人・神々などの)超自然的な直観能力による知識(avadhi-jñāna)
  4. (他者の)心の様態に関する知識(manaḥparyāya-jñāna)
  5. 完全な知識(kevala-jñāna)

である。このうち3以下は、霊魂が何ものも媒介とせず直接的に得るから直接知(pratyakśa)とされ、一方、最初の2つは感覚器官や聖典のことばなどを媒介とするから間接知(parokṣa)とされる。ここで直接知が他学派における一般的な直接知と内容的に異なるものを指している点は注意を要する。ジャイナ教では通常、感覚器官(indriya)を霊魂の特殊な精神的機能(bhāvendriya)と肉体的器官(dravyendriya)とに区別する。これをたとえば視覚器官について言えば、前者は見るはたらき、後者は眼球にあたる。前者はさらに知覚の能力(labdhi)とその能力の注意深い作用(upayoga)に分かれるという。1については、古くより4つの段階に分かれた知覚・認識の過程が示される。それは、対象に関する漠然とした知覚(avagraha)に始まり、より明確に把握しようとする意欲(īhā)と対象についての明瞭な判断(apāya あるいはavāya)とを経て、記憶(dhāraṇā)にいたるものである。
 以上のような伝統的な知識論は、ウマースヴァーティの『タットヴァールターディガマ・スートラ』に踏襲されたが、しだいに他学派の知識論の影響によってそれとの統合を余儀なくされるにいたった。すでに後期の聖典のなかに、感覚器官による知識を直接知に含めようとする過渡的な知識論が示されているが、やがて諸論師たち、たとえばシッダセーナ・ディヴァーカラ(6~7世紀)やアカランカ(8世紀)などの時代にいたると、他学派とほぼ共通の基盤に立って知識の考察が行なわれるようになった。そこでは、感官と思考器官による知識が従来のように間接知とはされず、他学派の直接知の分類に完全に包摂された。ただしこの場合、思考器官による知識も全面的に直接知としたことには、当然異議もとなえられた。いずれにせよ、ジャイナ教の知識論は、後代にいたっても聖典以来の伝統的な知識論と他学派のそれとのあいだのずれを完全に解消しえたという わけではない。
 ところで、ジャイナ教のカテゴリー論によると、存在(sat)は実体(dravya)、性質(guṇa)および様相(paryāya)の3者からなり、それらはみな真の実在として認識されうるという。実体としては不変でも、属性は無数にあり、その様相も不定であるから、事物をある一つの観点より、恒常(nitya)であるとか、無常(anitya)であると断定する認識は、必ず欠陥をもつ。全知者でないかぎり、存在をその全体において、知覚認識することは不可能である。それゆえ、対象の認識は一方にかたよることなく、つねに相対的になされなければならない。これをアネーカーンタ・ヴァーダ(anekānta-vāda、相対主義・不定主義)といい、ジャイナ教ではこの立場にもとづいて、2種のきわめて独創的な認識形態を提示した。すなわち、ナヤ(naya)説(部分真理説)とスヤードヴァーダ(syād-vāda、限定付表示法)である。ある事物の認識はある「見方」(naya)からすれば真であるが、他の見方ではそうではないから、多様な見方を必要とする。最も一般的な「見方」は、以下の7つである。

  1. 事物の普遍性と特殊性を区別しない見方(naigama)
  2. 普遍性だけの見方(saṃgraha)
  3. 普遍性を特殊性と対比する見方(vyavahāra)
  4. 現在の状態のみをみる見方(Ṛjusūtra)
  5. 語(同義語)より普遍性のみをみる見方(śabda)
  6. 同義語より特殊性をみる見方(samabhirūḍha)
  7. ある一つの事物を意味する語の語源より特殊性をみる見方(evaṃbhūta)

 1~3は実体に関するもので、4~7は様相に関するものであるとされる。ナヤ説はある立場からの部分的真理のみを認めるものであるが、それに対し、スヤードヴァーダは事物を全体的に捉えることをめざすものといえる。ある事物について言語で表示する場合には、つねに「ある点からすれば」(syāt)という限定のための不変化詞を付すべきであるといい、その完全な形式は7つの支分よりなる。たとえばある事物の存在(有)と非存在(無)に関する判断についていえば、それは「ある点からすれば」(1)有、(2)無、(3)有かつ無、(4)不可説、(5)有かつ不可説、(6)無かつ不可説、(7)有かつ無かつ不可説であると表示される。このような相対的な立場にもとづく認識形態は、ジャイナ教の知識論の大きな特徴であるといえる。

仏教

初期

 原始仏教・アビダルマ仏教は精神、知識の問題を重要視しており、あらゆる存在を五蘊十二処十八界というカテゴリーで提示するのはその表われである。五蘊は、①対象としての物体()を②感受()し、③対象を表象()し、④それらの過程を推進する力()によって⑤対象について明確に知識()する、という知識形成のプロセスを分節している。十二処は眼・耳・鼻・舌・身(触覚)・意(マナス)の6感官(六入)とそれぞれに対応する色・声・香・味・触・法(存在者、特に物体的でないものおよび概念的なもの)の6種の対象(六境)を示し、十八界はこれに眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識という6種の知識作用(六識)を加えたものである。
 この場合、感官と対象と知識作用の3者が同時に協合しあったときに知識ははじめて成立するとされ、ただ意識については、同時に存在するものを対象とするだけでなく、他の感官を通して感受した過去の知覚内容をも対象としうるので、したがって判断知、想起の作用ももつと考えられている。アビダルマ仏教諸派のなかで説一切有部は知識の対象となるかぎり過去・未来のものでも実在するという立場をとり、それに批判的であった経量部は直接的に知識の対象となるのは現在のもののみであり、過去・未来のものは存在しないとした。少し発達した経量部の説によれば、ある瞬間の対象は同一瞬間の意識に作用して第2の瞬間の意識に形象(ākāra)を投げかけ、第3の瞬間の意識はそれを対象として、それが何であるかを判断するという。この知識論は大乗仏教的な唯識説との関係で後期においてなおいっそう精緻になり発展させられる。
 五蘊などのカテゴリーが自我(アートマン)を認めない無我の思想を表明するときに適用されたことからも知られるように、上記の知識論では感官・知識作用・意識の背景にあってそれらを統括したり、あるいはそれらと何らかの関係をもつような自我の存在は認められていない。また無常の理念が重要な役割を演じ、感官・対象・知識作用は刹那滅であるという前提をもっている。このように、知識は自我の存在を予想せず刹那減のものとして、心の相続、いわば意識の流れを形成するという。この考えは以降においても仏教の知識論を規定する。また仏教において、知識は単に認識論的側面だけで問題とされたわけではない。悟りにいたる知のあり方として、ものごとをありのままに認識すること(如実知如実知見)、全体的な直観能力(般若)、あるいは修行の階梯のなかで知が深まつていくことをも示す十智(世俗智、法智・類智、苦智・集智・滅智・道智、他心智、尽智・無生智)、仏の智というように実践論的な智慧の問題として論じられることが多い。

後期

 初期の大乗経典あるいは龍樹(Nāgārjuna、ナーガールジュナ、150-250頃)の著作では、原始仏教・アビダルマ仏教的な知の考え、あるいは知識論はその有的な側面が批判の対象になる。たとえば、すべては空であると見る智慧の完全な状態(般若波羅蜜)に全体が集約され、具体的な知識論は前面に出ない。しかしこれに対抗するように、経量部的な考えをも背景の一つとして瑜伽行派の唯識説が台頭し、デイグナーガ(Dignāga、陳那、480-540頃)、ダルマキールティ(Dharmakīrti、法称、7世紀中頃)は、まさに知識論を基礎として存在論、アポーハの言語論を提示し、仏教的な論理学の体系化とその展開を計った。彼らによれば、知識は、いまここにある個物、個別相(自相)を対象とする直接知(現量)とそれに共通的な共通相(共相)を対象とする推理(比量)とに区分される。デイグナーガは直接知に感官知、修行者(yogin)の直観知とならんで意識の意識による自己認識(svasaṃvid、自証)を含め、自己認識が概念・判断をもちうるために直接知は思考(分別)をともなうこともあるとしたが、ダルマキールティは直接知は仮に誤認があっても思考はともなわない(無分別)とし、思考をともなう推理はすべて外在的な対象についての誤認にもとづくものと考えた。この意見の相違は、知識論において対象と知識作用との関係をどう理解するかという問題に関係する。デイグナーガは限定つきであるにしても、経量部の知識論を容認し、外在的な対象物を契機として意識に生じる対象物の形象(ākāra)とそれを対象とする自己認識に重点をおいた。ダルマキールティのほうはどうかというと、むしろ唯識説のほうに近いところに立ち、対象として意識に現われるのは外在的なものを契機とするものでなく、無限の過去から意識に蓄積された薫習(種子)が発現したものであり、本来内在的なものが外在的なものと誤認されているにすぎない、意識に現われる形象は内発的なもの、したがって知識の成立は自己認識(svasaṃvid)以外の何ものでもないとし、対象の実在とは無関係に、概念的思考をともなうかどうかをメルクマールとして直接知と推論を区分したのである。
 ここにも見られるように、意識に関して、彼ら以降は、外在的な対象を実在と認めるかどうか、仮に認めるとして、それは意識のなかに直接的にその写像をもつのか、それとも間接的に一定の形象を生むだけなのか(有形象)、また外在的な対象を認めないとすれば、ある真実性をもって対象の形象が存在するのか(有形象)、それとも対象の形象は虚偽ですべてが意識のなかに消え去り意識が光り輝くだけなのか(無形象)、というように、有形象論と無形象論とが複雑にからみあい、激しい議論をまきおこした。その議論の発端となったのは上記の2学者の著作であり、6世紀以後はそれをめぐって仏教内外に活発な論争を生んだ。仏教内部では空の思想を標傍する中観派の系統が一連の議論の決着を試みるとともに、外部においてはこの2学者の説が強烈なインパクトとなり、それぞれの学派の知識論がその影響のもとに整備されていくことにな る。