はんにゃきょう
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
般若経
Mahāprajñāpāramitā-sūtra (S)
具名:摩訶般若波羅蜜経(まかはんにゃはらみつきょう)
大乗(mahāyāna)を最初に宣言した経典であり、大乗仏教の先駆を果たした。
原型はおよそ紀元前後ごろの成立と考えられており、同じ名称の経典は多数存在し、漢訳された般若経だけでも42種ある。また多数のサンスクリット本やチベット訳本が現存している。おおよそ10種以上の系統を異にする般若経典群が現存しており、それぞれ最低6百年あまりにわたってつぎつぎと増広され、それらの各本が漢訳された。
これらの重要なものは、
- 小品(しょうぼん)系 (道行(どうぎょう)般若経、小品般若経、八千頌(はっせんじゅ)般若など)
- 大品(だいぼん)系 (放光(ほうこう)般若経、光讃(こうさん)般若経、大品般若経、二万五千頌般若)
- 十万頌般若
- 金剛(こんごう)般若経
- 理趣経(りしゅきょう) (百五十頌般若)
- 大般若経
- 般若心経
などがあり、6は7以外の諸経典のすべてを含むほか、それ以外のものをも加えて完成態としている。
内容
般若波羅蜜とは、一言で言うならば智慧の完成であり、それは空の体得によって得られる。部派仏教とくに説一切有部の構築したモノの存在が実在しているという説を強く批判し、その固定的なありかたに対して厳しい否定を投げかける。またその実践を、まったく新しい視点から、現実の日常世界に他者と共に活躍する大乗の菩薩が果たす。この菩薩は必ず仏のさとりを目ざし、かつ衆生の教化に勤めようとの発願から出発し、これを発菩提心といい、以後ついに挫けることなく、終わりのない実践に精進する。さらにまた菩薩としてとらわれることはない、という「空」の実践に結び付けられるのである。
成立の順序
成立の順序に関して、種々の議論が小品と大品の漢訳が紀元2-3世紀に行われて以来続けられ、ようやく最近になって、小品系に属する道行般若経の最初の部分が最も古いとほぼ決着した。その個所に摩訶衍(=大乗)の語が登場する。
この『道行般若経』は、『八千頌般若経』を支婁迦讖が179年に漢訳したもので、現存している『八千頌般若経』は7-8世紀に現形を得たもののようであることから、『道行般若経』がもっとも古い形であると考えられている。
このような状況を勘案すると、形式上分類すると、下記のようになる。
- 基本般若経ーーー『八千頌般若経』 世紀前後~50年ごろ
- 拡大般若経ーーー『十万頌般若経』『二万五千頌般若経』『一万八千頌般若経』 1.の実質内容はあまり変えないで、文章を敷衍増広して最大化したもの。 世紀後100~300年ころ
- 個別的般若経ーー『金剛般若経』『善勇猛般若経』『般若心経』など。1.2.と形式の上で関係を持たないもので比較的短い経典。世紀後300~500年ころ。
- 密教的般若経ーー『理趣経』その他。紀元後600~1200年ころ。
般若経の成立以前には、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若の六波羅蜜が同列に説かれており、その第六の般若波羅蜜が全体を統括しているとする般若経の出現によって、新しい大乗の宣言として見られたのである。
経典群
般若経典群の多くがみずから南方起源説に触れていることは、注目すべきである。
ほとんどの般若経典群は一様にかなり類似した表現をくどいほど反復している。
ただ上述の理趣経は密教色がきわめて濃い。この経には、玄奘訳と不空訳とがあり、それぞれ原本が相異しており、真言宗では不空訳を読誦(どくじゅ)する。
4の金剛般若経は特に禅宗と関係が深く、7の般若心経は浄土真宗と日蓮系とを除く仏教の諸宗でつねに読誦され、さらに神道でも一部改変された同経が読誦され、今日でも日本人の大多数に愛好されている。