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そうしょく

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

べっとうから転送)

僧職

日本の寺院・僧侶の管理や法会などを掌ることを目的として設けられた僧侶の官職。多種多様であるが、国家関係のもの、大寺特有のもの、一般的僧職に関するものに大別できる。

国家関係

・大宝2年(702)、諸国に駐在して寺院を監督し調経法務に関与する国師が置かれた(のち各国分寺に置く)
・延暦14年(795)、講師と改め、また国講師と称した。この講師と共に各国に読師が置かれた。

・勅会の南京三会(宮中御斎会・興福寺維摩会・薬師寺最勝会)、北京三会(円宗寺法華会・同最勝会.法勝寺大乗会)における講経者を講師と呼び、とくに三会講師と称した。三会講師の請をうけてから勤仕までの一年間を特に擬講といい、勤仕以後を已講と号し、已講から僧綱に任じられる例があった。

・宮中の御斎会などの時、内道場に奉仕し仏事を勤める僧を内供奉といい、十禅師の兼職であったから、内供奉十禅師と称し、内供・供奉・十禅師・十師などと略称した(宝亀3(772)年設置)。

・十禅師は、もと戒を厳持しまた加持に功のあった者の中から補任された10人の僧で、のちには東寺・延暦寺・園城寺などの譜代の職となった。十禅師は別に、近江国の梵釈寺・延暦寺定心院・同総持院.傍厳院などの特定寺院で鎮護国家の修法を行う僧を称することがあり、十師とも呼んだ。
 また十禅師は座主一人・三綱三人・供僧六人の定額僧10人を称することもあった。十師は、授戒の時の三師七証(戒和上・羯磨 師・教授師・尊証師七名)をも称し、十僧とも呼んだ。

・平安時代初期から宮中清涼殿の二間に夜居し玉体安穏を祈る護持僧が置かれた。夜居僧(よいのそう)のとも呼び員数は3-8、9名で、毎夜交互に伺候して長日不断の祈祷をした。東寺・延暦寺・園城寺の僧が専ら勤めた。

大寺

 諸大寺の僧尼を統轄するため三綱(上座・寺主・都維那)が置かれたが、多くの大寺には各々独特の主管者が置かれた。

 座主(ざす)学徳が高く一座中の主たる者、は延暦寺・貞観寺・金剛峯寺・大伝法院・醍醐寺・日光山・法性寺その他の寺院に 補任された。特に延暦寺では第一代義真以来継続し、仁寿4年(854)、円仁以後は勅補され、天台座主・山の座主と称し、明治4年(1871)まで存続したが、同17年以後私称することとなった。

 別当(他に本職があり、兼ねて別にその任に当たる者の意)は奈良時代以来諸大寺に置かれ、東大・興福・元興・大安・薬師・西大・法隆などの諸寺をはじめ六勝・神護・善光寺などにも任じられた。延喜式で別当補任の職制が示されたが、特に興福寺別当は諸大寺の例によらず氏人の簡定により補し、のち一乗院・大乗院などの門跡が任じられた。同じく東大寺別当も東南院・尊勝院の両院主および仁和寺・醍醐寺門跡などが補せられることとなった。
 別当には大・小・権の別、在俗の俗別当・修理別当などの種類がある。また熊野・白山・箱根・鶴岡・石清水・祇園などの諸寺社にも置かれ、羽黒には女別当を設けて諸国巫女の神託勘弁を司った。鎮も別当と同一職務を司り、奈良時代以来、法華・東大・新薬師寺などに置かれ、大中小の別があったが、平安中期以後廃止されたようである。

 長吏(ちょうり)は園城寺・勧修寺に置かれ、園城寺長吏は三井長吏・寺門長吏とも称し、円珍以来現在におよび、勧修寺長吏は別当とも呼び、平安時代初期から法親王を任じるのを例として近世末に及んだ。その他、横川樗厳院・加賀の白山神宮寺にも設けられた。

 長者(ちょうじゃ)は東寺の長官の特称で承和3年(836)実慧以来継続し、一長者から四長者までがあった。のちには仁和寺・大覚寺・勧修寺・三宝院諸門跡から勅補された。

 検校(けんぎょう)(点検し、くらべあわせて監査する者の意)は当初臨時に設けられたが、平安中期から、熊野三山、弘福寺・首榴厳院・無動寺・高野山などや石清水・春日・鶴岡・北野などの神宮寺に常置し、一山の棟梁として寺務を司った。

 長老は一寺の首座で唐招提寺・西大寺などに置かれた。また中世以来、臨済宗では京都、鎌倉各五山の住持、および西堂より上位者を長老と呼んだようであり、曹洞宗でも一夏の首座を勤めまだ転衣出世しない者を長老と称した。以上の諸大寺の長は寺内の事務の掌理にも任じるから、寺務ともよばれる。また別に寺務を置くところもあった。

 執行(しゅぎょう)は諸大寺の実際の事務や法会を管掌するためにあり、東寺・叡山・醍醐寺・清水寺・高野山などに置かれ、多くの神宮寺でも社務を行う社僧を執行と呼んだ。

一般僧職

 住持院主は寺院の主長として諸務を統理し、年預(ねんよ)はその年内の事務を担当した。公文(くもん)は寺領の経済などを司る役で、興福寺・高野山などでは公文目代と呼び、その役所を公文所といった。勾当(こうとう)・専当は雑事をあつかい、行事は法会や雑事を司り、大小の別、会行事(えぎょうじ)・月行事などの種類があった。また南都諸大寺には五師があり、5人の僧を選んで世事を勤めさせた。

 阿闍梨(あじゃり)は平安時代以来諸寺に置かれて修法・灌頂(かんじょう)・授戒・試業・検封・声明(しょうみょう)などを司り、大小の別があり、伝法阿闍梨などと呼ばれた。勅願の結縁灌頂の小阿闍梨の役を勤め終った者を已潅頂と呼び、勤仕以前1年間の者を擬灌頂と称した。

 導師は法会の上首で大・小・権の別があった。法会のとき会行事の下で堂内の事を指揮するのを堂達(どうたつ)と呼び、堂内の清掃・荘厳・点灯・捻香などに従事する者を承仕(しょうじ)と称した。

 門跡寺院には坊官・殿上法師と称して法体の在俗者が奉仕した。坊官の長を執当(しっとう)と呼んだ。

 諸大寺には学事を統領させるため学頭が置かれた。薬師寺には大学頭・鎮守頭・少学頭があり、叡山では東塔正覚院・西塔正観院・横川恵心院の住職を三学頭と呼び、高野山の無量寿院・宝性院および根来山(ねごろざん)の十輪院・妙音院の住職をいずれも両学頭と称した。

 堂宇建立、落慶法会などに呪願文を読む僧を呪願師(じゅがんし)という。

 勅会の竪義(りゅうぎ)に論題を選び論義させ判定する役を探題・題者・探題博士などと呼んだ。南都諸大寺では所定の階業を終えた者を得業(とくごう)と称したが、とくに南京三大勅会の竪義を順次に遂業した者を呼ぶ場合が多かった。勅会の論義に義をたて学業得略の試問を受ける者を竪者(りっしゃ)・竪義者・竪義などと呼ぶ。
 また講会に際して主宰し、講経の時、問を発し講者の意義を明瞭にさせる役を都講(とこう)と呼んだ。

 以上の他に、綱掌・堂童子・駈使・職掌・散所・縊取(かいとり)・出納(しつのう)・庫主(こす)・所守などがあり、禅宗では別に蔵主(ぞうす)・首座・単寮・西堂・東堂などが置かれ、社僧にも御殿司・脇堂・執事・宮仕などが設けられた。