ほくぎ

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北魏

Bei-wei; Pei-wei
 中国の南北朝時代の北朝の最初の王朝(386-534)。後魏または元魏ともいう。

 鮮卑の拓跋(たくばつ)部によって建てられた。淝(ひ)水の戦いで前秦が大敗すると、配下の拓跋珪(北魏の道武帝)は自立して中国進出をはかった。珪は国号を魏と定め、皇始1(396)年に皇帝の位についた。
 のち太武帝が華北統一を完成。孝文帝は都を洛陽に定め、漢化政策を推進。これによって北魏の文化は発展したが、北方民族本来の尚武の気風が失われ、のち政治的紛争が起り、東魏、西魏に分裂した。
 北魏王朝はその政治力,軍事力の中核をなす北方民族の漢化をめぐる問題、特に漢人豪族勢力の進展に対処してどのように一般農民を把握するか、また上級の漢民族、北方民族の家格の固定化をどのような形で政治に反映させるかなどの問題をかかえていた。孝文帝のとき施行された三長制、均田制、姓族分定などはこれらの解決策である。