むき

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
移動先: 案内検索

無記

avyākṛta (S)

 あらゆるものを倫理的観点から善と悪、そのどちらでもないものの三者に分ける場合の、どちらでもないものを「無記」という。
 「無記法」ともいう。善あるいは不善と価値づけできないもの。「有覆無記」(煩悩のけがれのある)と「無覆無記」(煩悩のけがれのない)の2つがある。有覆無記とは、無記ではあるが、聖道をおおってさまたげ(覆障)、自心をおおってふさぐ(覆蔽)という2つの働きがあるものをいい、〈唯識〉は、そのようなものとして末那識(潜在的な自我執着心)を考える。無覆無記とは、無記であり、かつ聖道をおおってさまたげることも、自心をおおってふさぐこともないものをいい、〈唯識〉は、そのようなものとして前世の善悪業によって生じた阿頼耶識(根本の心)を考える。無覆無記には、詳しくは次の4種がある。

  1. 異熟生。前世の善悪業によって生じたもの。
  2. 威儀路。行(歩く)・住(立つ)・坐(すわる)・臥(横になる)の4種の身体的動作をするときの心。
  3. 工巧処。技術・知識にもとづく仕事や営みをするときの心。
  4. 変化。 仏・菩薩が神通力を得て人びとを導き救済するために種々のありよう・種々のものを作りだすときの心。

 これら4種は心を付して異熟生心・威儀路心・工巧処心・変化心ともいう。これら4つの無覆無記に、自性無記(それ自体が無記であるもの、すなわ内的な眼根・耳根・鼻根・舌根・身根と外的な香・味・触との8つ)を加えて、無記を5種に分類する。

不可記為善不善性故名無記。〔『倶舎』2,T29-7b〕
無記有二。謂、有覆無記及無覆無記。〔『倶舎』4、T29-20b〕
無記有五。一異熟生法、二威儀路法、三工巧処法、四通果無記法、五自性無記法。
由五相建立無記諸法差別。何等為五。一異熟生無記、二威儀路無記、三工巧処無記、四変化無記、五自性無記。此中自性無記、謂、諸色根、是長養者、及外諸有色処等非異熟等所摂者、除善染汚色処声処。〔『瑜伽』66、T30-668a〕
無記法者、略有四種。謂、異熟生、及一分威儀路、工巧処、及変化。〔『瑜伽』3,T30-292b〕
於善不善益損義中、不可記別、故名無記。〔『成論』5、T31-26b〕

十四無記

 「無記答」「捨置記」ともいう。
 釈尊が他の思想家達から世界の常・無常、有限・無限、霊魂と身体との同異、死後の生存の有無など14の形而上学的質問を受け、論争を挑まれたが、沈黙を守って答えなかったことをいう。

 善悪に「無記」に関する詳しい説明がある。

無愧

anapatrapāanapatrāpya (S)

 恥じる心のないこと。破廉恥なこと。他人に対して恥じないこと。「」とは逆の心作用である。
 唯識では、20随煩悩の一つ。

無愧心をもって恐怖と為す。外に羞恥なく、恩を棄て徳に背けり。    〔大乗本生心地観経 T3-318c〕
無愧と云は世間の見聞にも恥じずして諸の罪を崇むる心也。    〔唯識大意〕