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むろ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

無漏

anāsrava (S)

 漏とは漏泄(漏れ出る)という意味で、煩悩をいう。煩悩は有情六根(眼・耳・鼻・舌・身・意の6つの器官)から流れ出るから漏といい、その漏が無いこと、あるいは無いものを無漏という。そのような無漏のもの(無漏法)として、『倶舎論』〔『倶舎』1,T29-1c〕では、有為のなかの道聖諦と3つの無為虚空択滅非択滅)とをあげ、それらのなかでは煩悩が随増する(煩悩に随順し煩悩が増大する)ことがないから無漏であると説かれる。
 『瑜伽師地論』〔『瑜伽』65、T30-661c~662a〕では、さらに詳しく分析して、次の5つのありようをもつものを無漏という。

  1. 諸の(具体的に現れた煩悩)を離れたもの。
  2. 随眠(煩悩を起こす潜在的な種子)を断じたもの。
  3. 一切の汚れた心・心所が断滅したもの、すなわち涅槃
  4. 一切の見道に属するもの。
  5. 出世間の一切の修道と及び無学道に属するもの。


 無漏云何。謂、道聖諦及三無為。何等為三・虚空、二滅。二滅者何。択・非択滅。此虚空等三種無為及道聖諦、名無漏法。所以者何。諸漏於中不随増故。〔『倶舎』1,T29-1c〕
 諸漏随眠永解脱故、説名無漏。〔『瑜伽』66、T30-666c〕
 無漏法者、謂、出世聖道及後所得幷無為法。〔『雑集論』4,T31-711a~b〕
 諸漏永尽、非漏随増、性浄円明故、名無漏。〔『成唯識論』10、T31-57a〕