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ヤージュニャヴァルキヤ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

ヤージュニャヴァルキヤ

Yājñavalkya (S)

 インド哲学におけるウパニシャッド最大の哲人、「聖仙」とも称される。古代インドに、およそ紀元前750~前700年の人。ウッダーラカ・アールニの弟子と伝えられ、「梵我一如」の哲理の先覚者として著名である。太陽神から授けられたという白ヤジュル・ヴェーダの創始者でヨーガ哲学の元祖ともいわれる。王仙ジャナカと共に後の仏陀の思想、仏教の道を用意したという説もある。

 人間の死後の運命について尋ねられたとき、

実に人は善業によって善い者となり、悪業によって悪い者となる。  〔『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』III.2.13〕

という考えを秘説として示したと伝えられているここにおいて、とは、死後にも残存する潜在的な力と考えられていることは明白である。以来、業による輪廻とそれからの解脱に関する哲学ないし宗教上の解答がインド思想界の共通の課題となり、特に紀元前5,6世紀以降は、業の存在を積極的に否定する唯物論を除けば、正統派・非正統派を問わず、インドのすべての哲学・宗教がこの課題にとりくみ、業説に関して種々の見解を提起するようになった。

それ(=アートマン)と異なっているものはである。  〔『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』III.7.3-23〕

 アートマンとブラフマンは同一根本原理の称呼として、自由に互換的に用いられる。ウパニシャッドはさまざまな教説を含み、統一的組織をもたず、新古の層を含んで思想上の変化も見られるが、以下にその顕著なものをあげる。
 『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』第8章にいう。人間の肉体は聖なる梵の都城であり、心臓は小さな白蓮華(puṇḍarīka)の家である。その内なる小さな空処(ākā-śa)にこそ、人の探し求むべきもの、識らんと願うべきもの(vijijñāsitavya)がある。すなわち、この小空間は大宇宙の虚空と拡がりを同じうし、万物はそのなかにおさめられ、老死を超えた無憂のアートマンがそこにある。このアートマンは、真実の欲望、真実の思惟をもつから、人が何を欲しても、思惟するのみでそれは彼に実現する。

人は行動するに従って種々のものとなる。

 輪廻の原因として、ヤージュニャヴァルキヤは善悪業によって、善きもの、悪しきものとなるといい、業(karman)の観念を主張した。この思想は「他聞をはばかる秘義」として説かれているから、業と輪廻はこの時代から確固たるかたちをとり始めたものとみていい。
 輪廻の主体はアートマンとされ、あるウパニシャッドは、身体を離脱したアートマンは、純粋認識の本質を回復するが、明知(vidyā)、 業(karman)。前世の潜在認識(pūrva-prajñā)がこれに付着して輪廻の当体となることをのべている。こうして業・輪廻説は釈尊の時代(前6ないし5世紀)にはすでに成立していたものと思われる。