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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(歓喜)
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 歓(prāmodya)と喜(prīti)。[[しきかい|色界]]において[[じょうりょ|静慮]]([[じょう|定]])を修するなかで生じるよろこび。
 
 歓(prāmodya)と喜(prīti)。[[しきかい|色界]]において[[じょうりょ|静慮]]([[じょう|定]])を修するなかで生じるよろこび。
 
: 歓者、謂、従本来、清浄行者、観資糧地所修浄行無悔為先、慰意適悦、心欣踊性。喜者、謂、正修習方便為先、深慶適悦、心欣踊性。〔『瑜伽』11、T30-329a〕
 
: 歓者、謂、従本来、清浄行者、観資糧地所修浄行無悔為先、慰意適悦、心欣踊性。喜者、謂、正修習方便為先、深慶適悦、心欣踊性。〔『瑜伽』11、T30-329a〕
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<big>pramuditā</big> (S)
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 「喜んだ・喜びに溢れた」を意味する概念であり、[[ぼさつ|菩薩]]の[[じゅうじ|十地]]の[[しょじ|初地]]の名「[[かんぎじ|歓喜地]],pramudita-bhūmi」(喜びに満ちた地盤)として現れる。
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: 歓喜は、第二に、勝れた方便を得た結果を表す。自らへの愛着を捨てることを「歓」と名付け、他者への愛情を生じることを「喜」と名付け、‹合わせて「歓喜」と言う›。〔真諦訳、摂大乗論釈8、T31.206a〕
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;もちろん「歓」と「喜」のように熟語が分解されることはないはずだが、真諦さんらしい補足説明である。
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2022年7月20日 (水) 11:54時点における版

歓喜

abhipramodanā: ānandin: tuṣṭa (S)

 よろこび。心が歓喜することによって潜在的な根本心(阿頼耶識)にある悪を生じる可能力(種子麁重)が除滅される。

 清浄な信を上首として心に歓喜が生じ、心が歓喜するが故に、漸次、諸の悪不善法品の鹿重を息除す。

prīti-prāmodya (S)

 歓(prāmodya)と喜(prīti)。色界において静慮)を修するなかで生じるよろこび。

 歓者、謂、従本来、清浄行者、観資糧地所修浄行無悔為先、慰意適悦、心欣踊性。喜者、謂、正修習方便為先、深慶適悦、心欣踊性。〔『瑜伽』11、T30-329a〕

pramuditā (S)

 「喜んだ・喜びに溢れた」を意味する概念であり、菩薩十地初地の名「歓喜地,pramudita-bhūmi」(喜びに満ちた地盤)として現れる。

 歓喜は、第二に、勝れた方便を得た結果を表す。自らへの愛着を捨てることを「歓」と名付け、他者への愛情を生じることを「喜」と名付け、‹合わせて「歓喜」と言う›。〔真諦訳、摂大乗論釈8、T31.206a〕
もちろん「歓」と「喜」のように熟語が分解されることはないはずだが、真諦さんらしい補足説明である。



 よろこびの意味であるが、浄土教では特に仏の救済あるいは浄土往生の決定をよろこぶ表現として、信心歓喜、踊躍歓喜などと用いられる。
 また歓は身のよろこび、喜は心のよろこびと区別される場合もあり、死後の往生を先立ってよろこぶ語として、現在世において信心が定まって不退の位に入ったことをよろこぶ慶喜と対称されることもある。

 世親の『十地経論』巻二には、初歓喜地十地〉の菩薩の歓喜を九種に分けて述べている(真の歓喜は初地に至って初めて生ずるからである)。