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 見ること。観察すること。<br>
 
 見ること。観察すること。<br>
「苦しむ衆生を観じて深心に悲慰して恵施を行ず」「舞楽を観るとき、無義の語を引くことあり」「息が身に住するを観ず」
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: 苦しむ衆生を観じて[[じんしん|深心]]に悲慰して恵施を行ず。
 
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: 舞楽を観るとき、無義の語を引くことあり。
mīmāṃsā: vibhāvana: vyavacāraṇa<br>
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: 息が身に住するを観ず。
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 深く観察し思考すること。<br>
 
 深く観察し思考すること。<br>
「観の増上力に由って得るところの[[さんまじ|三摩地]]を観三摩地と名づく」
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:観の増上力に由って得るところの[[さんまじ|三摩地]]を観三摩地と名づく。
 
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vipaśyanā<br>
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 止観の観。vipaśyanāの意訳。[[びばしゃな|毘鉢舎那]]と音写。
 
 止観の観。vipaśyanāの意訳。[[びばしゃな|毘鉢舎那]]と音写。
 
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abhisamaya<br>
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 明蜥に把握する、理解する、証すること。原語 abhisamaya は普通「[[げんかん|現観]]」と訳される。
 
 明蜥に把握する、理解する、証すること。原語 abhisamaya は普通「[[げんかん|現観]]」と訳される。
  
 
 真理をみること。<br>
 
 真理をみること。<br>
「聖諦を観ず」「仏の法身を観ず」「真如を観ず」
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: 聖諦を観ず
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: 仏の[[ほっしん|法身]]を観ず
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: [[しんにょ|真如]]を観ず

2020年5月20日 (水) 22:14時点における最新版

ava-īkṣ: upalakṣaṇā: darśana: darśin: pari-īkṣ: parīkṣaṇa: paś: pratyavekṣā: prekṣā: prekṣin: vyava-lok: samanu-paś: saṃdarśana: sam-paś: sam-lakṣ
 見ること。観察すること。

 苦しむ衆生を観じて深心に悲慰して恵施を行ず。
 舞楽を観るとき、無義の語を引くことあり。
 息が身に住するを観ず。

mīmāṃsā: vibhāvana: vyavacāraṇa
 深く観察し思考すること。

観の増上力に由って得るところの三摩地を観三摩地と名づく。

vipaśyanā
 止観の観。vipaśyanāの意訳。毘鉢舎那と音写。


abhisamaya
 明蜥に把握する、理解する、証すること。原語 abhisamaya は普通「現観」と訳される。

 真理をみること。

 聖諦を観ず
 仏の法身を観ず
 真如を観ず