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「きょう」の版間の差分

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
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===経蔵===
 
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個別の経典を集めて編纂した叢書としての[[きょうぞう|経蔵]](Suutra-piTaka)を「経」と呼ぶ。それに対して、戒律に関する文献を集めたものを[[りつぞう|律蔵]](Vinaya-piTaka)を「律」と呼ぶこともある。
 
個別の経典を集めて編纂した叢書としての[[きょうぞう|経蔵]](Suutra-piTaka)を「経」と呼ぶ。それに対して、戒律に関する文献を集めたものを[[りつぞう|律蔵]](Vinaya-piTaka)を「律」と呼ぶこともある。
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==境==
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viSaya、artha、gocara (skt.)
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認識作用の対象。<br>
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*viSayaは認識の対象となる領域
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*arthaは認識の対象となる事物
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*gocaraは認識が行われる範囲
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というのが原意であるが,どれも認識作用(vijJaana、[[しき|識]])の対象の意で用いられる。これに[[しき|色]]・[[しょう|声]]・[[こう|香]]・[[み|味]]・[[そく|触]]・[[ほう|法]]の「六境」があり、それぞれ[[げん|眼]]・[[に|耳]]・[[び|鼻]]・[[ぜつ|舌]]・[[しん|身]]・[[い|意]]の[[ろっこん|六根]]、および[[ろくしき|六識]]に対応する。<br>
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あるものに到達した場合の心の状態・環境(境地・境界)なども「境」という。

2005年5月20日 (金) 03:05時点における版

(skt.)suutra सूत्र。「きょう」と読むのは仏教であり、それ以外の宗教では「けい」と読む。また、「契経(かいきょう)」「貫経(かんぎょう)」「正経」「聞経」「本経」「契」「文」などと訳ことがあった。
音写語では、「修多羅(しゅたら)」「修妬路(しゅとろ)」。suutraは動詞√siiv(縫う、貫く)から作られた中性名詞。a thread、string、line、cordなどと英訳される。古くから、「貫穿(かんせん)の意」あるいは「縫綴(ほうてい)の義」があると解釈された。

元来、正統バラモンに属する分野では、簡潔な言葉で要点のみを述べた文献で、一般に、昔の聖人が著わし、記憶に便利な言葉をさした。 仏教では、釈尊の教えが文章の形で表現されたものを経(スートラ)と呼ぶ。これらは、釈迦入滅直後に行われた第1回の経典の編纂事業(結集)をはじめ、その後2回ほどの編纂を経て、整理された。大乗仏教の成立以後も、「般若経典」をはじめとする種々の大乗経典が編纂された。大乗経典は、やはりsuutraと呼ばれるが、長文で厖大なものが多い。

初期の用例

仏教最古の用例は、九部経十二部経のうち、第一分に置かれる「経」である。

諸経の中に散説する文句なり.諸行無常諸法無我涅槃寂静と説くが如し  大毘婆沙論(巻126)
じょうごう長行の直説にして,諸法の体を摂するもの  顕揚聖教論(巻12)

「端的に法の内容を簡略にまとめた聖典中の散文」という意味。この意味での「経」は,仏教聖典が経二蔵(にぞう)に分かれる以前のもので、律蔵中の波羅提木叉やこれと併行する発達過程をたどった中部(分別品(135-140経))、中阿含(根本分別品(31,162-164,169-171))などに見られる。

個別経典

如是我聞(によぜがもん)よりないし歓喜奉行にいたる,かくの如きの一切を修多羅と名づく  大乗涅槃経(北本巻15)

といわれるように、「如是我聞―歓喜奉行」形式のもので、阿含から大乗にいたるまでの多くの個別経典の一般形式である。パーリ聖典では、「中部」中の経典はすべて「~sutta」と名づけられ、長い経典を集めた「長部」では「~suttanta」と名づけられて区別され、いずれも「経」と漢訳されている。

経蔵

個別の経典を集めて編纂した叢書としての経蔵(Suutra-piTaka)を「経」と呼ぶ。それに対して、戒律に関する文献を集めたものを律蔵(Vinaya-piTaka)を「律」と呼ぶこともある。

viSaya、artha、gocara (skt.)

認識作用の対象。

  • viSayaは認識の対象となる領域
  • arthaは認識の対象となる事物
  • gocaraは認識が行われる範囲

というのが原意であるが,どれも認識作用(vijJaana、)の対象の意で用いられる。これにの「六境」があり、それぞれ六根、および六識に対応する。
あるものに到達した場合の心の状態・環境(境地・境界)なども「境」という。