天台宗で立てる三つの見方。 もろもろの事象の本体が本来空寂であることを空といい、しかも因縁によって生じたものとしてもろもろの事象が現に存在することを仮とし、空でもなく仮でもない絶対の真理を中とする。この三つを空仮中の三諦とし、この真理を観ずることを、空仮中の三観と名づける。 南都では「くげちゅう」とよみ、北嶺では「くうげちゅう」とよんだ。〔『止観輔行』2-4、T46-208参照〕