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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2022年8月15日 (月) 15:38時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (龍樹の空観)

śūnya शून्य (S)、suñña सूञ्ञ (P)、舜若(しゅんにゃ)と音写。

 固定的実体の無いこと。実体性を欠いていること。原語のシューニヤは、「…を欠いていること」という意味である。
 インドの数学では、インド人が世界史上最初に発見したゼロを表す。このゼロという数により、たとえば十進法が可能となり、負数(マイナス)の概念も確立し、それはアラビアを通じて近代のヨーロッパに伝えられ、近代数学が誕生し、現代の自然科学や技術その他も開発され進展した。
 このśūnyaはśū(=śvā、śvi =膨張する)からつくられた śūna にもとづいて、空虚、欠如、ふくれあがって内部がうつろなどを意味し、初期の仏典にも登場する。

仏典の用例

自我に執着する見解を破り、世間を空として観察せよ 『スッタニパータ(1119)』
空虚な家屋に入って心を鎮める 『法句経(373)』
この講堂には牛はいない、牛についていえば空(欠如)である。しかし比丘がおり、比丘についていえば空ではない(残るものがある) (小空経)『中部121経、中阿含経(巻49)』

 欠如と残るものとの両者が、「空」の語の使用と重なり説かれる。これから「空」の観法という実践が導かれて、空三昧は無相三昧と無願三昧とを伴い、この三三昧を三解脱門とも称する。
 またこの用例は特に中期以降の大乗仏教において復活され、その主張を根拠づけた。
 また(大空経)『中部122経、中阿含経(巻49)』は「空」の種々相、内空と外空と内外空との三空などを示す。さらに、縁起思想との関係を示唆する資料もある『相応部20-7、雑阿含経(1258経)』。部派仏教における「空」の用例も初期仏教とほぼ同じで、「空」が仏教の中心思想にまでは達していない。

般若経の空

 大乗(マハーヤーナ)の説が般若経で初めて説かれると、ここでは「空」が反復して主張された。それはこの経の批判の対象となった説一切有部が一種の固定した型に膠着化したことによる。ここでは「空」は厳しい否定を表し、いっさいの固定を排除し尽くす。

龍樹の空観

 この「空」の理論の大成は龍樹によって果たされた(『中論』など)。
 龍樹は、あらゆる存在・運動・機能・要素その他、さらに、それぞれを表現する言葉そのものについて、各々がきわめて複雑多様な関係性(=縁起)の上に成立し、しかもその関係性は相互矛盾・否定をはらみつつ依存し合うことを明確に論じ、それは日常世界にまで及ぶ。
 ここに諸要素などの実体視による自性(それ自身で存在する独立の実体)が完全に消滅し去り、その根拠と実態を「空」と押え、こうして縁起―無自性―空という系列が確立し、また言葉も一種の過渡的なとして容認される。

衆因縁生の法は、我れ即ち是れを無(空)なりと説く。亦た是れを仮名と為す。亦た是れ中道の義なり。未だ嘗て一法として。因縁拠り生ぜざるもの有らず。是の故に一切法は、是れ空ならざる者なし    〔観四諦品第24 T30-33b〕
「śūnya」は形容詞であり、その名詞形の「śūnyatā शून्यता」は、空、空性、空であること、と訳される。

 般若経自体は南インドに関係が深いが、龍樹はその担い手たちの一人であったと思われる。彼は般若経の智慧を重視する思想が釈尊自身の実践的な縁起中道の思想を直接継承するものと考え、『中論』などの著作によって、すべてのものの空性をきわめて精緻な論理を使って明確にしようとした。その論法は鋭く、日常的なことばが意味のうえで予想しがちな実体性、自性を徹底して破壊するものとなっており、わずかでも実体的・有的なものを認める意見があればその立場を容赦なく批判した。つまり有的な傾向をもった当時のアビダルマ仏教も、他学派とともに激しい批判を受けるのである。
 まず『中論』第1章第1偈は

 いかなる存在者であれ、それ自体から生じたものは決してなく、また他のものから、自と他との両者から、また原因なくして生じたものは決してない。

と述べる。原因と結果の関係を同一(自)、別異(他)、同一かつ別異(自他)、同一でも別異でもなく結果が原因をもたない(無因)という四つの場合に分類し、その想定をすべて否定している。タネから芽が出てくるのを例として、第一の場合を考えれば、「芽は芽と同じタネから生じる」というのは芽がタネと完全に同一ではないために論理的にはおかしいし、まんいち芽がタネと完全に同一だとすれば芽はすでに芽として存在しているはずであり、新たに芽が生じるとするのは無意味となる。原因のタネと結果の芽を同一と想定すれば、このような論理上の不合理が起こり、この想定はその正しさが否定されざるをえない。
 ほかの場合についても同様であり、結果として「芽はタネから生じる」という判断は誤りと断定される。この断定はわれわれの日常的な経験と矛盾するようだが、実はそうではない。われわれは生き生きとした発芽現象を「タネ」「芽」「生じる」ということばで分断し、そのことば間の関係に心奪われ、発芽現象の成りゆき自体を直視しようとはしていない。ことばのほうが先行しているかぎり、発芽現象全体の成りゆきが真の意味で経験されているとは言いがたい。その意味で、ことばに頼りすぎるのは危ない、「タネ」「芽」「生じる」ということばはやめにして、すなわちそれぞれ空なもの、自性をもたないもの、無自性のものと見通したうえで、現象自体を全体との連関のなかでながめよ、というのが龍樹の言いたいところである。彼はことばが主役を演じがちなわれわれの経験・認識の問題を解決するために、ものは縁起しているから、すなわち原因条件をまってはじめて存在しえているから、無自性であると主張した。原始仏教・アビダルマ仏教で縁起は、十二支縁起に見られるように、ある一定のものの因果的連鎖に主点をおくものであったが、彼の縁起はもっと一般化されて、何であれものは原因条件、理由をまってはじめて存在し独自的存在性(我・自性)はもたないことが強調され、すべてのものの空性の根拠が縁起であるとされるにいたっている。『中論』第24章第18偈で彼は

 縁起なるもの、それは空性(空)であるとわれわれはみなす。それは素因に依拠した認識のためのことば(仮)であり、それこそ中道(中)である。

と言う。ここではまず縁起=空性とし、そのうえで空性はことばが実体を指すのではなく意味に終始する虚構のものであることを述べ、さらに進んで、「これはAである」「これはAでない」とする肯定的判断と否定的判断を何についても下さない、固定的判断から完全に自由な中道、中の実践を強調している。論理的に展開される彼の空思想は、般若経ではそれほど重要な役割を演じなかったところの原始仏教以来の縁起・中道の思想を活性化し、「空」「空性」の概念により豊かな内容をもりこんだと言ってよい。「空」「空性」は、龍樹の場合、「AはAの自性の空なものである」ないし「Aは空である」と言われるにしても、それもあくまでことばのうえであり、AがAとして存在している事態を何ら傷つけるものではない。ことばとことばにもとづく執着から自由になって,Aが全体との関係でAとしてあることが、智慧の完全な状態に おいてはそのまま把握されるであろう。
 龍樹以後は、その空思想にもとづいて中観派が形成され、また空性を認識論的実践的に現実に即して解明することによって瑜伽行派が確立され、他学派とも接触しながら、論理学的な正確さと体系化を計っている。このなかで、空思想側の意図 とは異なるとはいえ、空性が虚無的と解されうる可能性がつねに問題とされていることは注意を要する。

中国仏教

 般若経はかなり古く2世紀後半に支婁迦讖によってすでに漢訳されており、「空」「空性」の概念はそれを通じて中国に知られた。ところがこの概念を受容するにあたって、中国には老子・荘子による成熟した「」の思想があり、これを前提として「空」「空性」は理解された。 5世紀にいたって鳩摩羅什は般若経や龍樹の『中論』を含めて大乗経典を漢訳し、大々的に紹介したが、サンスクリットを原語とする「空」「空性」の意味論的な側面は伝えることが困難で、「空」と「空性」は「空」の一字で統合さ れ、その存在論的な面が「有」を根底から支える「無」「大虚」、空性を観じる般若波羅蜜の実践性は「無為」に通じる「の意味あいを帯び、また『中論』の論理性は煩雑とさえ感じられる字句の解釈に道を譲った。
 インドの論理的かつ分析的な空観は、いわば直観的・総合的な中国の感性に支えられながら、空観は独自の展開を見たと言ってよい。たとえば『中論』第24章第18偈で縁起=空性、空性・仮・中道というように用心深く列挙された概念は、後半に主点が移される。一切諸法は空・仮・中の観点から観察されるべきであり、観察の対象となるそのものについては空・仮・中それぞれのあり方が真実(諦)として一体となっている(三諦円融)とされ、インド仏教で緊張を保っていた個と全体の問題は、全体のなかで個々の区別は無意味となるという方向で融合され、相即的な論理を生みだしている。
 この意味で中国的な無の思想を背景とする、たとえばの思想は、有の根底に無を見、それをバネとして有の世界にもどり、結果においてすべてを肯定する傾向にあると言ってよい。インドで虚無的と解されがちな空の思想が、中国では無の思想としてインドとは違った積極性をもったのである。