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けごんきょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2012年2月2日 (木) 15:07時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (内容)

華厳経

大方広仏華厳経の略。buddhaavataMsaka-naama-mahaavaipulya-suutra बुद्धावतँसकनाममहावैपुल्यसूत्र (skt.)

大方広とは、証すべき「」のこと、仏とはそれを説いた人のことである。華厳とは、この仏を喩えて言ったものである。
仏が因位のときに修行した様々なことは「華」と喩えられ、この華によって仏果が荘厳されるから「華厳」と言うのである。又、仏となっての徳は華のようであり、この華によって法身が荘厳されるから「華厳」と言うのである。以上が中国での解釈である。
サンスクリットの意味は「仏の飾りと名づけられる広大な経」という意味で、上記のような解釈はしない。

華厳経は、元々は現在の形のような大部の経典ではなく、小さな経典として独立していたが、3世紀頃に中央アジアでまとめられて、現在の形に近いものになったと考えられている。そのうち数点はサンスクリット本のまま残っている。
漢訳されたものは、60巻本〔六十華厳〕と80巻本〔八十華厳〕とであり、チベットにも完訳されたものが残っている。

漢訳

上記のうち四十華厳は、前2者の「入法界品」に相当する。

このうち、もっとも古い章は、おそらく「十地品」であり、1-2世紀頃に成立したと考えられている。ここでは、菩薩修行の段階を説いており、大乗仏教の修行法を体系的にまとめ上げたものと見られる。

内容

 仏陀のさとりをそのままあらわしたものである、と言われている。そのために舎利弗や目連のようなすぐれた弟子でさえも、何も理解できなかったといわれる。それほどにこの経典は複雑であり、また茫洋としてつかみどころがない。しかしはっきり分からないまでも心して読んでいくうちに、なにか途方もない大きな、大海原のような仏陀のさとりが、ひたひたと我々の心にも打ち寄せてくるのを感ずる。
 その根本的な特徴は、事事無礙法界縁起に基づいているということである。すなわち、究極の真理の立場から見るならば、一切の事象が互いに連関し合って成立していて、とどこおりがないということである。この立場から菩薩行の実践を説いている。菩薩の修行には自利と利他との二つの方面があるが、菩薩にとっては他の人々を救う(衆生済度)ということが、自利であるから、自利即利他である。

 『華厳経』は、旧訳でいえば7処8会34品、新訳では7処9会39品から成り立っている。7処8会というのは、説法の場所とその会座の数である。34品とは34章と言うことと同じである。

  1. 寂滅道場会
  2. 普光法堂会      ここまで地上の会座
  3. 忉利天
  4. 夜摩天宮会
  5. 兜率天宮会
  6. 他化自在天宮会    これらは天上の会座
  7. 普光法堂会
  8. 逝多林会(祇園精舎) ふたたび地上の会座 ここに入法界品が説かれる。