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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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(戯論)
 
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 正しくない無益な言論。これには愛著の心から行う[[あいろん|愛論]]と、道理にくらい[[へんけん|偏見]]から行う[[けんろん|見論]]との二極がある。
 
 正しくない無益な言論。これには愛著の心から行う[[あいろん|愛論]]と、道理にくらい[[へんけん|偏見]]から行う[[けんろん|見論]]との二極がある。
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 有無二辺の中道は、人の想いや考えにおいて機能する論理である。つまり、この中道のはたらく「論理の地(場所)」は、想いや考えということになる。想いや考えをもたない人はいない。そして、それは、大半がことばとしてわたしたちの口から発せられるのである。だから、この中道は「想い」ばかりではなく「ことば」にも適用される論理である。
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 「想いやことばのはたらく地(場所)」は、ブッダの説いたことばでいうならば「戯論」(プラパンチャprapañca)である。

2022年9月9日 (金) 08:55時点における最新版

戯論

prapañca (S)

 正しくない無益な言論。これには愛著の心から行う愛論と、道理にくらい偏見から行う見論との二極がある。

 有無二辺の中道は、人の想いや考えにおいて機能する論理である。つまり、この中道のはたらく「論理の地(場所)」は、想いや考えということになる。想いや考えをもたない人はいない。そして、それは、大半がことばとしてわたしたちの口から発せられるのである。だから、この中道は「想い」ばかりではなく「ことば」にも適用される論理である。  「想いやことばのはたらく地(場所)」は、ブッダの説いたことばでいうならば「戯論」(プラパンチャprapañca)である。