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さんぼう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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三宝

(triratna,ratna-traya)

 仏、法、僧の三をいい、この三は世間において勝れたものとして宝というのである。聖徳太子が『十七条憲法』に「篤敬三宝」といわれ、伝教大師が僧をもって国宝といわれたのも、この心を示している。

 さて、仏〈buddha)とは覚者としての仏教の教主、法〈dharma)とは仏の教え、僧〈saMgha)とは、その教えを信奉する人々の集団であり、僧伽ともいわれる。この三宝は当初は、釈尊を仏宝、その教えとして四諦十二因縁などを法宝、釈尊の信奉者としての比丘比丘尼、また優婆塞優婆夷などの在家の信者をも含めた仏教教団を僧宝といったのであるが、滅後にもこの三宝はあるべきだとして、仏像や経巻や出家の集団等を仏法僧の三宝というようにもなった。
 しかし、現に入滅された釈尊をしたってはじめられたのが、このような三宝を立てることになったから、そこでは仏や法や僧に教義的な説明が必要となってくる。そこで、仏とは覚知の義、法とは法軌の義、僧とは和合の義であるなどと註釈的な三宝になったのである。
 このように当初は具体的に師として釈尊という仏がおられ、人々に対していつでも説法され、また釈尊と共にいた弟子たちは、自ら和合教団を形造っていた。そこには具体的な三宝があった。そこで、あとからの信奉者たちが、この教団に入ろうとする時には、何よりも、三宝に帰依することが必要であり、とくに仏に帰依することが大切であった。そこで、仏教教団への入門には儀式として、この帰依三宝を誓わねばならなかった。

  • 「仏に帰依し奉る」「南無帰依仏」〈buddhaMsaraNaM gacchaami)
  • 「法に帰依し奉る」「南無帰依法」〈dhammaMsaraNaM gacchaami)
  • 「僧に帰依し奉る」「南無帰依僧」〈sanghaMsaraNaM gacchaami)

は、具体的な釈尊とその教法とその信奉者の集団に対してであった。
 ところが、具体的に現実に出世された釈尊は入滅する。そこで、この生身の釈尊を思慕する人々は、これを転法輪や仏足などであらわして、これを礼拝の対象とした。しかし、やはり人間を化するものは人間である。そこに仏入滅後も法身〈dharma-kaaya)を仰ぎ、さらに報身〈niSyanda-kaaya,saMbhoga-kaaya,vipaaka-kaaya)として礼するようになり、そこに具象的な仏像をつくり出したのである。このようにして仏宝は仏像、法宝は真理であり、真実であると考え、僧宝は和合僧であるとして、やや抽象的なものとなっていった。
 このような、三宝の意味の変遷を通じて、これをまとめて説いたのが、四種三宝とも六種三宝とかいわれるものである。たとえば、同体三宝(=同相三宝=一体三宝)、別相三宝(=化相三宝=真実三宝)一乗三宝、三乗三宝、真実三宝、住持三宝などが説かれる。この中、同体三宝とは三宝の一々について、それぞれの三宝の意味をもっているとして、三宝一体とみるわけである。たとえば仏宝のうえに仏のもつ覚証の義が仏宝、仏のもつ軌則性、それが法宝、仏のもつ正しさ、すなわち違諍の過失のないところが和合他の僧宝であるというようである。
 また、別相三宝とは、大乗でならば、諸仏の三身が仏宝、その教えとしての六波羅蜜が法宝、十聖を僧宝とし、小乗ならば丈六の化身たる釈尊を仏宝、四諦十二因縁が法宝、四果と独覚を僧宝とする如くであり、最後の住持三宝とは、釈尊滅後に世間に住するものとして、木像や画像が仏宝、経典や律典の文々句々が法宝、剃髪染衣は僧宝なりというのである。ここには、明らかに、三宝の変遷が示されている。
 仏法僧の三が世間の宝物であり、無上の勝れた働きをもつという考えは、このような三宝の加護を蒙ることを望むこととなる。このような願いが「三宝加持」という形であらわれ、それによって種々なる罪障が排除されるという加持祈祷がなされているが、このような三宝の受けとり方が、人間の危機に「南無三宝」などと叫ぶということになったと思われる。
 また、このような大切な三宝を守護する天神を三宝荒神という。ところが、古来から、この三宝を守護する荒神を「カマド」の神様としている。その由来は明らかではないが、この三宝が不浄を忌むということから、清浄なところに住居しているにちがいないという点で、清浄を示す火のあるところ「カマド」に住居するとしたものであろう。