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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(広律)
 
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 '''広律'''とは[[かいきょう|戒経]]に対していう言葉であり、戒経は250戒の条文のみの集成であるが、その条文の註釈や[[さんが|僧伽]]運営の[[かつま|羯磨]]などについて詳しい説明を含んでいるのが広律である。<br>
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 律典は〈[[かいほん|戒本]]〉〈[[こうりつ|広律]]〉〈[[こんま|羯磨]]〉に分けられ、広律はさらに戒条を解説する〈経分別部〉と行事を規定する〈[[けんど|犍度]]部〉に分かれる。現存する広律は漢訳5種、パーリ律1種、チベット語訳1種の6種7本である。<br>
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 '''広律'''とは戒本に対していう言葉であり、戒本は250戒の条文のみの集成であるが、その条文の註釈や[[さんが|僧伽]]運営の[[かつま|羯磨]]などについて詳しい説明を含んでいるのが広律である。<br>
 
 したがって、[[じゅうじゅりつ|十誦律]]・'''四分律'''・[[ごぶりつ|五分律]]・[[まかそうぎりつ|僧祇律]]はすべて広律であるから、内容の骨格はほぼ同じであるが、細かな点においては相違がある。
 
 したがって、[[じゅうじゅりつ|十誦律]]・'''四分律'''・[[ごぶりつ|五分律]]・[[まかそうぎりつ|僧祇律]]はすべて広律であるから、内容の骨格はほぼ同じであるが、細かな点においては相違がある。
  
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 '''四分律'''は曇無徳部(dharmaguptaka)、すなわち[[ほうぞうぶ|法蔵部]]が伝えた[[こうりつ|広律]]である。<br>
 
 '''四分律'''は曇無徳部(dharmaguptaka)、すなわち[[ほうぞうぶ|法蔵部]]が伝えた[[こうりつ|広律]]である。<br>
 
 全体として見るならば、四分律の説明は過不足がなく、行き届いており、勝れた律である。これに対して十誦律は[[せついっさいうぶ|有部]]の律であるために、アビダルマ的な問答分別が多く、説明が煩雑で、直ちに意味を取りにくい点がある。しかし'''四分律'''は、'''十誦律'''を訳した[[くまらじゅう|羅什]]の弟子たちが長安で勢力があったので、翻訳の最初は十誦律に押されて、研究されなかった。
 
 全体として見るならば、四分律の説明は過不足がなく、行き届いており、勝れた律である。これに対して十誦律は[[せついっさいうぶ|有部]]の律であるために、アビダルマ的な問答分別が多く、説明が煩雑で、直ちに意味を取りにくい点がある。しかし'''四分律'''は、'''十誦律'''を訳した[[くまらじゅう|羅什]]の弟子たちが長安で勢力があったので、翻訳の最初は十誦律に押されて、研究されなかった。
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 中国における律学は、はじめは[[くまらじゅう|鳩摩羅什]]などが訳出した[[せついっさいうぶ|説一切有部]]の[[じゅうじゅりつ|十誦律]]が主流を占めていたが、北魏仏教の隆盛と共に[[えこう|慧光]](468-537)らが'''四分律'''を宣揚し、その系統に[[どうせん|道宣]]が出るに及んで全土を風靡するに至った。道宣の起こした[[りっしゅう|律宗]]を〈南山(律)宗〉と呼び、日本律学の実質的な祖と目される[[がんじん|鑑真]]もこの系統に属する。したがって本書は日本や中国の律宗の原典というべき特に重要な位置にある。
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* [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1428_ 大正蔵 律部 Vol.22 p.567a 四分律]
 
* [http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&useid=1428_ 大正蔵 律部 Vol.22 p.567a 四分律]

2010年10月9日 (土) 15:57時点における最新版

四分律

caturyvargika-vinaya (skt.)

漢訳

『四分律』六十巻は、カシュミール(罽賓)の佛陀耶舎が、四分律を暗記して長安に来て、自己の暗記に基づいて訳した。訳時は410‐412年のことである。

広律

 律典は〈戒本〉〈広律〉〈羯磨〉に分けられ、広律はさらに戒条を解説する〈経分別部〉と行事を規定する〈犍度部〉に分かれる。現存する広律は漢訳5種、パーリ律1種、チベット語訳1種の6種7本である。
 広律とは戒本に対していう言葉であり、戒本は250戒の条文のみの集成であるが、その条文の註釈や僧伽運営の羯磨などについて詳しい説明を含んでいるのが広律である。
 したがって、十誦律四分律五分律僧祇律はすべて広律であるから、内容の骨格はほぼ同じであるが、細かな点においては相違がある。

特徴

 四分律は曇無徳部(dharmaguptaka)、すなわち法蔵部が伝えた広律である。
 全体として見るならば、四分律の説明は過不足がなく、行き届いており、勝れた律である。これに対して十誦律は有部の律であるために、アビダルマ的な問答分別が多く、説明が煩雑で、直ちに意味を取りにくい点がある。しかし四分律は、十誦律を訳した羅什の弟子たちが長安で勢力があったので、翻訳の最初は十誦律に押されて、研究されなかった。

 中国における律学は、はじめは鳩摩羅什などが訳出した説一切有部十誦律が主流を占めていたが、北魏仏教の隆盛と共に慧光(468-537)らが四分律を宣揚し、その系統に道宣が出るに及んで全土を風靡するに至った。道宣の起こした律宗を〈南山(律)宗〉と呼び、日本律学の実質的な祖と目される鑑真もこの系統に属する。したがって本書は日本や中国の律宗の原典というべき特に重要な位置にある。


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