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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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nikṣipati (S)

 捨てること。放棄すること。離れること。

 自身の命を捨して諸の衆生に施す。
 諸の菩薩は怨害ある諸の有情所に於て怨憎想を捨して親善想に住す

adhyupekṣaṇā (S)

 なおざりにすること。見過ごすこと。

 違犯の有情を若しくは罰し若しくは捨す。

anupra-yam: √dā: dāna (S)

 施すこと。

 諸の菩薩は善巧方便に由って自ら少財を捨す。

upekṣaṇa: upekṣā (S)

 善の心所の一つである捨(行捨)。汚れがなく真っ直ぐで平等な心。「心の平等」と「心の正直」と「心の無功用」とからなる。
 このなか心の平等とは禅定中においてたかぶること(掉挙)にも沈むこと(惛沈)にもかたよらずに平等になった状態、心の正直とはその平等になった心が自然に起こりつづける状態、心の無功用とは心の意図的な活動(功用)までもがなくなった状態をいう。受蘊のなかの捨である非苦非楽の捨と区別するために、行蘊のなかの捨であることから行を付して行捨という。

 心平等性・無警覚性、説名為捨。〔『倶舎』4,T29-19b〕
 捨、謂、行過去未来現在、随順諸悪不善法中、心無染汚、心平等性。〔『瑜伽』29、T30-444a〕
 云何為捨。謂、於所縁、心無染汚、心平等性。〔『瑜伽』31、T30-456b〕
 云何行捨。精進三根、令心平等正直無功用住、為性、対治掉挙、静住、為業。〔『成論』6、T31-30b〕

 四無量(慈・悲・喜・捨)の捨。
 親しいとか憎いとか分別することなく、すべての人びとを平等視して、人びとの幸せ(利益)を願う心をいう。


 煩悩を滅する3つのありよう(伏・断・捨)の一つ。
 とは表層において煩悩が具体的に働くことを抑えること、とは深層の阿頼耶識において煩悩を生じる可能力(種子)を断滅すること、捨とはその種子の残気・気分までをも捨て去ること。cf. 伏断捨