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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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(所縁縁)
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 対象としての縁。所縁とは、心・心作用の対象をいう。心・心作用の対象が原因となって、心・心作用という結果が生ずる場合に、心・心作用の対象を'''所縁縁'''、心・心作用を増上果という。六因のうちでは能作因に含まれる。〔倶舎論〕
 
 対象としての縁。所縁とは、心・心作用の対象をいう。心・心作用の対象が原因となって、心・心作用という結果が生ずる場合に、心・心作用の対象を'''所縁縁'''、心・心作用を増上果という。六因のうちでは能作因に含まれる。〔倶舎論〕
  
   所縁縁と云は心の知る所の物を云也、知らるるものを縁として生ずる故也。    〔唯識大意〕
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 [[ゆいしき|唯識]]では、それをさらに親所縁縁と疎所縁縁とにわける。<br>
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 このなか親所縁縁とは[[けんぶん|見分]](認識する側のこころの部分)が直接に認識する[[そうぶん|相分]](認識される側のこころの部分)としての対象をいい、疎所縁縁とはそのような相分としての対象のいわば奥にある間接的な認識対象をいう。疎所縁縁とは根本の心である[[あらやしき|阿頼耶識]]が作り出し、阿頼耶識みずからが認識しつづけている本来的な存在(本質)をいう。 
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   '''所縁縁'''と云は心の知る所の物を云也、知らるるものを縁として生ずる故也。    〔唯識大意〕

2018年6月16日 (土) 11:34時点における版

所縁縁

ālambanaṃ, ālambana-pratyaya (S)

 対象としての縁。所縁とは、心・心作用の対象をいう。心・心作用の対象が原因となって、心・心作用という結果が生ずる場合に、心・心作用の対象を所縁縁、心・心作用を増上果という。六因のうちでは能作因に含まれる。〔倶舎論〕

 唯識では、それをさらに親所縁縁と疎所縁縁とにわける。
 このなか親所縁縁とは見分(認識する側のこころの部分)が直接に認識する相分(認識される側のこころの部分)としての対象をいい、疎所縁縁とはそのような相分としての対象のいわば奥にある間接的な認識対象をいう。疎所縁縁とは根本の心である阿頼耶識が作り出し、阿頼耶識みずからが認識しつづけている本来的な存在(本質)をいう。 

 所縁縁と云は心の知る所の物を云也、知らるるものを縁として生ずる故也。    〔唯識大意〕