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(諸法実相)
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 『[[ちゅうろん|中論]]』のtattvasya lakṣaṇa,dharmatā,[[ほけきょう|法華経]]のdharma-svabhāvaなどを[[くまらじゅう|鳩摩羅什]]が訳した術語。
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 『[[ちゅうろん|中論]]』の<big>tattvasya lakṣaṇa,dharmatā</big>,[[ほけきょう|法華経]]の<big>dharma-svabhāva</big>などを[[くまらじゅう|鳩摩羅什]]が訳した術語。
  
 
 すべての事物([[しょほう|諸法]])のありのまま([[じねん|自然]])の姿、真実のありようをいう。言語・思弁を超えた真実の世界は、仏の[[ほうべん|方便]]によってのみ我々に知られるとして、その意義は多様に説かれるが、『[[だいちどろん|大智度論]]』が、[[はんにゃはらみつ|般若波羅蜜]]をもって観ずる世界、すなわち畢竟空(ひっきょうくう)(究極絶対の[[くう|空]])をいうことからも判るように大乗仏教を一貫する根本的思想である。法華経(方便品)に
 
 すべての事物([[しょほう|諸法]])のありのまま([[じねん|自然]])の姿、真実のありようをいう。言語・思弁を超えた真実の世界は、仏の[[ほうべん|方便]]によってのみ我々に知られるとして、その意義は多様に説かれるが、『[[だいちどろん|大智度論]]』が、[[はんにゃはらみつ|般若波羅蜜]]をもって観ずる世界、すなわち畢竟空(ひっきょうくう)(究極絶対の[[くう|空]])をいうことからも判るように大乗仏教を一貫する根本的思想である。法華経(方便品)に

2020年5月21日 (木) 17:03時点における最新版

諸法実相

 『中論』のtattvasya lakṣaṇa,dharmatā法華経dharma-svabhāvaなどを鳩摩羅什が訳した術語。

 すべての事物(諸法)のありのまま(自然)の姿、真実のありようをいう。言語・思弁を超えた真実の世界は、仏の方便によってのみ我々に知られるとして、その意義は多様に説かれるが、『大智度論』が、般若波羅蜜をもって観ずる世界、すなわち畢竟空(ひっきょうくう)(究極絶対の)をいうことからも判るように大乗仏教を一貫する根本的思想である。法華経(方便品)に

唯(ただ)仏と仏とのみ乃(いま)し能(よ)く諸法の実相を究尽(ぐうじん)したまえり。所謂(いわゆる)諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等(くきょうとう)なり    (羅什訳)

と説かれている。

 如是相などは十如是と呼ばれ、事物の生起やあり方を10の型に分類したものである。

 諸法実相を除いて、余残の一切法は、悉く名を魔と為す。    〔智度論5〕
 諸菩薩、初発心に従い一切種智を求む。其の中間に諸法実相を知る慧、是れ般若波羅蜜なり。〔同17〕

 中国では法華経を柱として空観を確立した天台智顗は十如是を三諦にあてはめつつ諸法実相を説き明かした。一行阿闍梨は浄菩提心の如実相を覚ることが諸法実相を知ることといい、禅宗は父母未生以前の本来の面目こそ諸法実相といい具体的・行動的に意義を展開した。
 日本では、道元が『正法眼蔵』に「諸法実相」という巻を設け、上記の方便品のことばを引用し、独創的な解釈を施しつつ、諸法実相を強調した。