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しんごん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

真言

mantra

 本来は、リグ・ヴェーダ(ヴェーダ)の本集(Ṛgveda-saṃhitā)を形成する神聖な呪句をいった。
 サーヴィトリー呪に代表されるそれらは、多く神々に対する呼び掛け、祈願の句であるが、この句それ自体に神聖な力(それが梵(ぼん)(ブラフマン)の語源であるとされる)が宿っており、神々をもその意味のごとくに支配するものと考えられ、この力に依頼して公的私的な祭祀においてバラモン(婆羅門)僧によって誦唱された。この呪句の誦持(じゅじ)の習俗が仏教の密教に取り入れられ、中国に伝来した際にその呪句が「真言」と訳されたのである。
 これはmantraが神々に対する誠真の言葉であることからして、あるいはその権能としてその言葉に対応する真実を現成せしむると考えられることからして適訳であろう。

密教における真言

 密教が教理的に発達して、真言は三密加持(かじ)・三密瑜伽(ゆが)における口密(くみつ)として或る一尊の精神内容の言語的表現ないし、それを行者に実現せしめる言語表現による手段とした。
 さらに、純然たる密教の成立を示す初会金剛頂経において、その即身成仏の理念は真言(発菩提心真言)を誦することをもって大乗仏教の三劫(さんごう)にわたる菩薩行、すなわち慈悲の原理に基づく他者に対する直接的働きかけの積集の過程を代替することにおいて構想されたのであるが、その際この即身成仏の構想の成立根拠としてこの真言の効力の自明性が自覚されていたのである。

親近

āsanna: āsevā (S)

 親しく近づくこと。親しく付き合うこと。教えを請うこと。そばに居ること。善い人びと・指導者たち(善士・善友・善知識)に親近することが修行の過程において重要であることが強調される。

 一類あり、仏の出世に値い、善士に親近し、正法を聴聞し、如理に作意す。
 如来に親近して住するに由るが故に、広大な仏法の中に於て大功徳想を起こす。
 悪友に親近し、交遊し、好んで共に安止す。

 あることに専念すること。熱心に修行すること。「親近し修習し多修習する」という表現が多くみられる。

 長夜の中に於て不善業・善業を親近し修習す。
 身念住に於て繋念して親近し修習し多修習す。
 得がたく証しがたき無上菩提に親近す。
 由正修習聞所成慧。説名親近。由正修習思所成慧能入修故。説名修習。〔瑜伽師地論86、T30.0783b〕

pratyāsannatva (S)

 関係が親密であること。疎遠の対。

 但だ心に於て仮に説いて我と為す。眼などは此れが所依と為りて親近なるが故に説いて内と名づけ、色などは此れが所縁と為りて疎遠なるが故に説いて外と名づく。
 諸の親近などを説いて名づけて因と為し、諸の疎遠などを説いて名づけて縁と為す。