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しんらん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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親鸞(しんらん、1173年 - 1262年)は浄土真宗の開祖である。

仏教の一派である浄土真宗(じょうどしんしゅう:Shin-Buddhism)の開祖。天台宗の堂僧となり、後、法然の弟子となり、一派を起こした。ただし自身はあくまで法然を師と仰ぎ、「真の宗教である浄土宗の教え」を継承しさらに高めて行くことに力を注いだのであり、自らが宗派を立てるという意志は持っていなかったとも考えられ、京都においても、東山大谷の地につつましい念仏道場を設けて教えをひろめる活動を行っていたという形であった。親鸞の念仏集団の隆盛が、浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で、宗派としての教義の相違が明確となって、親鸞の亡くなった後に一宗派として確立されたとされる。

親鸞の教え

浄土三部経と呼ばれる無量寿経観無量寿経阿弥陀経に説かれた阿弥陀仏の教えを元に、インド仏教龍樹天親中国仏教曇鸞道綽善導日本仏教源信、法然の 7 人の教えを基礎にして作られたと言われる。
南無阿弥陀仏念仏を称えるという称名によって、阿弥陀仏の浄土(=極楽)へ往生し、阿弥陀仏のもとで修行をすることによって仏陀となること(=成仏)ができる。なぜなら阿弥陀仏によって四十八の誓願(=四十八願)が立てられており、その第 18 番目の願(=本願)に「すべての衆生が救われなければ、わたしは仏とならない」と誓われているからである。この18願から十八番という言葉が生まれた。
このため、私が往生するのは阿弥陀仏の本願によってであり、このを信ずること(=信心)によって、往生することができるとし、信心正因称名報恩という。しかも、この信心も阿弥陀仏の力によって芽生えたものであるから、すべてが阿弥陀仏の働きであるとし、これを他力本願と呼ぶ。この他力とは阿弥陀仏の働きをさし、一般の「他力本願」という言葉は誤用である。
さらに、すでに阿弥陀仏に願われている私であるとして、この身のまま現在救われているとして、現生正定聚と生きていることを喜ぶことを勧めた。この考え方は法然を超えたものである。浄土宗と浄土真宗の違いはここにある。

親鸞の生涯

父、日野有範(ありのり)は皇太后宮の大進であり、承安(じょうあん)3年(1173年)4月1日(太陽暦:5月21日)京都、山科区日野に誕生した。治承(じしょう)5年(1181年)9歳、慈円(じえん)のもとで出家し、範宴(はんねん)と呼ばれた。出家後、比叡山延暦寺で、堂僧(どうそう)として首楞厳院(しゅりょうごんいん)で不断念仏(ふだんねんぶつ)の修行をした。
建仁(けんにん)元年(1201年)、29歳のとき、京都市内の六角堂に参篭(さんろう)し救世(くぜ)観音に祈念し、95日目の暁に、聖徳太子の示現を得て、法然上人のもとに行った。このとき、法然は69歳。親鸞は入門5年後の元久(げんきゅう)2年(1205年)4月14日選択集の書写を許された。この頃、釈綽空(しゃくしゃっくう)と名を改めていた。さらに同年、法然の肖像画の制作も許され、善信と改名した。
建永2年(1207年)2月、専修念仏の停止と、遵西など 4 名を死罪、法然・親鸞ら 8 名が流罪(るざい)となった。親鸞は越後国府に配流され、妻をめとり子をもうけ、非僧非俗の生活を送った。建暦元年(1211年)11月、法然とともに罪をゆるされた。法然は建暦2年(1212年)1月25日、京都で80歳をもって示寂。親鸞は、京都に帰るのぞみをすて越後にとどまった。
建保2年(1214年)越後を出て、常陸(ひたち)へ向かい関東での布教活動を展開した。約20年ののち、62、3歳のころ京都に帰った。その主著教行信証が完成したのは、京都に帰ったのちの寛元5年(1247年)ごろである。宝治2年(1248年)76歳のとき、まず浄土和讃高僧和讃とを脱稿した。正嘉(しょうか)のころには正像末和讃をまとめた。以上の 3 本を三帖和讃と呼ぶ。
親鸞が帰京してのちの関東では、さまざまな異端が流行した。そこで親鸞は息子の善鸞(ぜんらん)を説得のため東国に派遣した。しかし善鸞は、異端の専修賢善に傾き、正しい念仏者までも弾圧しようとした。建長8年(1256年)5月29日付の手紙で、善鸞と親子の縁を切った。
親鸞と関東から帰った妻、恵信尼は、20年ほどともに暮らしたのち、故郷の越後に帰った。弘長(こうちょう)2年(1262年)11月28日(陽暦1月16日)、90歳をもって示寂した。臨終は、弟尋有(じんぬ)や末娘覚信尼が見とった。

親鸞の著書

親鸞を描いた文芸作品

  • 出家とその弟子 (倉田百三)