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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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[[しんじん|信心]]、[[しんげ|信解]]などに詳しい。
 
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「zraddhaa」の訳。十地法では「浄信」(prasaada)、「勝解」(adhimukti)、「信解」(avakalpanaa)を掲げているが、『十住毘婆沙論』では'''信'''にまとめられている。
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「śraddhā」の訳。十地法では「浄信」(prasāda)、「勝解」(adhimukti)、「信解」(avakalpanā)を掲げているが、『[[じゅうじゅうびばしゃろん|十住毘婆沙論]]』では'''信'''にまとめられている。
  
===zraddhaa===
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===śraddhā===
 
 インドで仏教以前から用いられた単語で、仏教では「信」と漢訳した。<br>
 
 インドで仏教以前から用いられた単語で、仏教では「信」と漢訳した。<br>
 
 冷静で客観的な信頼を意味する。[[げだつ|解脱]]に必要な[[ごこん|五根]]や[[ごりき|五力]]や七力の最初に数えられ、また[[しんじょ|心所]]の一つとして大善地法に配当されている。「'''信'''」は疑惑を除き悟りへの基盤であると考える。
 
 冷静で客観的な信頼を意味する。[[げだつ|解脱]]に必要な[[ごこん|五根]]や[[ごりき|五力]]や七力の最初に数えられ、また[[しんじょ|心所]]の一つとして大善地法に配当されている。「'''信'''」は疑惑を除き悟りへの基盤であると考える。
  
===prasaada===
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===prasāda===
[[じょうしん|浄信]]」「澄浄(ちょうじょう)」「[[しんじん|信心]]」などと漢訳する。心が清まり澄むことで、そこには「'''信'''」が看取される。
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 「[[じょうしん|浄信]]」「澄浄(ちょうじょう)」「[[しんじん|信心]]」などと漢訳する。心が清まり澄むことで、そこには「'''信'''」が看取される。
  
 
===adhimukti===
 
===adhimukti===
[[しんげ|信解]]」「勝解(しょうげ)」「[[しんぎょう|信楽]]」などと漢訳される。[[ちえ|智慧]]により理解が進んで確立される信頼で、そこにはもはや疑惑がない。
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 「[[しんげ|信解]]」「勝解(しょうげ)」「[[しんぎょう|信楽]]」などと漢訳される。[[ちえ|智慧]]により理解が進んで確立される信頼で、そこにはもはや疑惑がない。

2018年1月30日 (火) 12:46時点における版

「こころ」とも訓じられる。(citta चित्त、hRdaya हृदय (skt.))
「心」と漢訳された原語には多くがあり、「心(citta)」「(manas)」「(vijJaana, vijJapti)」などが挙げられ、同義異名であるとされる。

citta

種々の(citra)対象を認識するから、集める(cinoti)から、と語源的に解釈される。
前者の場合は六識を、後者の場合、特に唯識派のいう阿頼耶識を意味する。これは、過去の経験を集め貯蔵しているからで、それが未来の諸法を起こしていくところから「集起心」といわれたりする。

manas

思慮する働きであり、「思量心」といわれる。唯識派では「末那識」を指す。

vijJaana,vijJapti

了別」と訳されるもので、認知する働きのことである。「了別心」「縁慮心(えんりょしん)」「慮知心(りょちしん)」といわれる。唯識派では第六識の意識をいう。

hRdaya

もともとは心臓を意味し、この意の心を肉団心と言い、通常は肉体の心臓部分を指す。また中心・心髄の意味も持っている。『般若心経』の「心」はhRdayaであり、核心・心髄の意味である。

その他の心

心を構成する重要な要素である感情や意志は、人間存在を五蘊ではその中のに当たり、後世、心所の中に分析されている。

信心信解などに詳しい。

「śraddhā」の訳。十地法では「浄信」(prasāda)、「勝解」(adhimukti)、「信解」(avakalpanā)を掲げているが、『十住毘婆沙論』ではにまとめられている。

śraddhā

 インドで仏教以前から用いられた単語で、仏教では「信」と漢訳した。
 冷静で客観的な信頼を意味する。解脱に必要な五根五力や七力の最初に数えられ、また心所の一つとして大善地法に配当されている。「」は疑惑を除き悟りへの基盤であると考える。

prasāda

 「浄信」「澄浄(ちょうじょう)」「信心」などと漢訳する。心が清まり澄むことで、そこには「」が看取される。

adhimukti

 「信解」「勝解(しょうげ)」「信楽」などと漢訳される。智慧により理解が進んで確立される信頼で、そこにはもはや疑惑がない。