じみん
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慈愍
(680-748)
唐代の僧で、本名は慧日といい、玄宗皇帝から「慈愍三蔵」の号が与えられた。慈愍流念仏の祖である。
インドに渡り仏蹟を巡拝し、観音の霊告を受けて浄土往生の志願をかため、帰唐後念仏を弘めた。
幼いころ、義浄三蔵がインドから帰ったのを知って、インドへ行こうと決意した。同様に船に乗って3年間かかってインドへたどり着くことができた。そこで、様々な仏跡を尋ね原本を求め、13年経って陸路で帰ろうとしたが大変難儀をした。そこでどういう方向なら苦がないかと学者に尋ねると、すべての学者が浄土を讃嘆した。そこで、慈愍は北インドの顕駄羅国へ行き、王城の東北の大山で観音の夢告を得て、浄土に往生する思いを固くして、開元7年に長安に帰国した。
『宋高僧伝』29に「往生浄土集」があり、『浄土慈悲集』3巻があると言われているが、伝わっていない。
宋の元照の『芝園集』下に「論慈愍三蔵文集書」の一遍が載っている。また、法照の『五会法事讃』に載っている「般舟三昧讃」と、永明延寿の萬善同帰集に引かれている言葉で、彼の学説の一端が知られるのみである。
なお、朝鮮半島の鮮桐寺から『浄土慈悲集』の上巻が発見されたので、研究が進むのを待っている。
著書
- 浄土慈悲集
- 般舟三昧讃
- 浄土文記