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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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vedanaa वॆदना (skt.)
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<big>vedanā वॆदना</big> (S)
  
 「痛」「覚」とも訳される。根([[ろっこん|六根]]。眼・耳などの認識器官)と[[きょう|境]](六境。色・声などの認識の対象)と[[しき|識]](六識。眼識・耳識などの認識作用)との[[そく|触]](接触和合)から生じる苦・楽・不苦不楽などの印象・感覚をいう。[[うじょう|有情]]やこれを取り巻く世界を五つの要素に分類した[[ごうん|五蘊]]の一つ。[[じゅうにいんねん|十二因縁]]の第七支として組み込まれる。<br>
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 「痛」「覚」とも訳される。根([[ろっこん|六根]]。眼・耳などの認識器官)と[[きょう|境]](六境。色・声などの認識の対象)と[[しき|識]](六識。眼識・耳識などの認識作用)との[[そく|触]](接触和合)から生じる苦・楽・不苦不楽などの印象・感覚をいう。[[うじょう|有情]]やこれを取り巻く世界を5つの要素に分類した[[ごうん|五蘊]]の一つ。[[じゅうにいんねん|十二因縁]]の第7支として組み込まれる。<br>
 [[せついっさいうぶ|説一切有部]]の[[あびだつま|阿毘達磨]]や[[ゆいしき|唯識]]説では、心の働くときにはいつでも生じている精神作用として十大地法や五遍行の一つに数えられる。
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 [[へんぎょう|遍行]]の[[しんじょ|心所]](細かい心作用)の1つ。苦楽を感じる感受作用(領納 anubhava)。詳しく、苦受(苦と感じる感受)と楽受(楽と感じる感受)と不苦不楽受(非苦非楽受ともいう。苦とも楽とも感じない感受。捨受ともいう)との三受がある。さらに苦受を苦受と憂受とに、楽受を楽受と喜受とに分けて全部で五受を立てる場合がある。<br>
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 五受のなか、苦受と楽受とは五識(五感覚)と共に働き、憂受と喜受とは意識(分別作用)と共に働くとされる。すなわち、苦と楽とは感覚的なものであるのに対して、憂と喜とは分別的なものと考えられている。<br>
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 また五識と相応する受を身受(みじゅ)といい、意識と相応する受を心受(しんじゅ)という。
  
:受と申すは、即(すなは)ち受の心所なり。およそ此の心所に五受と申して五の位あり、憂受・苦受・喜受・楽受・捨受なり     〔法相二巻抄(上)〕
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:受、謂、三種、領納苦楽倶非、有差別故。〔『倶舎』4,T29-19a〕
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:受云何。謂、三和合故能領納義。〔『瑜伽師地論』55、T30-601c〕
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:身受者、謂、五識相応受。心受者、謂、意識相応受。〔『雑集論』1、T31-696c〕
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: 受と申すは、即(すなは)ち受の心所なり。およそ此の心所に五受と申して五の位あり、憂受・苦受・喜受・楽受・捨受なり     〔法相二巻抄(上)〕
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 十二支縁起の一契機としての受。十二支縁起のなかの第7番目の契機。<br>
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 苦・楽・非苦非楽の三つの受の因の違いを理解するが、いまだ婬貪が生じない段階をいう。四、五歳から十四、五歳ぐらいまでの間をいう。
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:已了三受因差別相、未起婬貧、此位名受。〔『倶舎』9,T29-48b~c〕
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dhaaranii धारनी (skt.)
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<big>dhāranī धारनी</big> (S)
  
 
 「呪」は、[[だらに|陀羅尼]]の訳語として用いられる。梁の僧祐『出三蔵記集』(4)には、灌頂七万二千神王護比丘呪経、最勝長者受呪願経などのほか、摩訶般若波羅蜜神呪、七仏安宅神呪、十八竜王神呪経など、神秘な呪文を意味する「神呪」の語を用いた経典が多数著録されている。<br>
 
 「呪」は、[[だらに|陀羅尼]]の訳語として用いられる。梁の僧祐『出三蔵記集』(4)には、灌頂七万二千神王護比丘呪経、最勝長者受呪願経などのほか、摩訶般若波羅蜜神呪、七仏安宅神呪、十八竜王神呪経など、神秘な呪文を意味する「神呪」の語を用いた経典が多数著録されている。<br>

2022年1月29日 (土) 15:43時点における最新版

vedanā वॆदना (S)

 「痛」「覚」とも訳される。根(六根。眼・耳などの認識器官)と(六境。色・声などの認識の対象)と(六識。眼識・耳識などの認識作用)との(接触和合)から生じる苦・楽・不苦不楽などの印象・感覚をいう。有情やこれを取り巻く世界を5つの要素に分類した五蘊の一つ。十二因縁の第7支として組み込まれる。
 遍行心所(細かい心作用)の1つ。苦楽を感じる感受作用(領納 anubhava)。詳しく、苦受(苦と感じる感受)と楽受(楽と感じる感受)と不苦不楽受(非苦非楽受ともいう。苦とも楽とも感じない感受。捨受ともいう)との三受がある。さらに苦受を苦受と憂受とに、楽受を楽受と喜受とに分けて全部で五受を立てる場合がある。
 五受のなか、苦受と楽受とは五識(五感覚)と共に働き、憂受と喜受とは意識(分別作用)と共に働くとされる。すなわち、苦と楽とは感覚的なものであるのに対して、憂と喜とは分別的なものと考えられている。
 また五識と相応する受を身受(みじゅ)といい、意識と相応する受を心受(しんじゅ)という。

受、謂、三種、領納苦楽倶非、有差別故。〔『倶舎』4,T29-19a〕
受云何。謂、三和合故能領納義。〔『瑜伽師地論』55、T30-601c〕
身受者、謂、五識相応受。心受者、謂、意識相応受。〔『雑集論』1、T31-696c〕
 受と申すは、即(すなは)ち受の心所なり。およそ此の心所に五受と申して五の位あり、憂受・苦受・喜受・楽受・捨受なり     〔法相二巻抄(上)〕

 十二支縁起の一契機としての受。十二支縁起のなかの第7番目の契機。
 苦・楽・非苦非楽の三つの受の因の違いを理解するが、いまだ婬貪が生じない段階をいう。四、五歳から十四、五歳ぐらいまでの間をいう。

已了三受因差別相、未起婬貧、此位名受。〔『倶舎』9,T29-48b~c〕


dhāranī धारनी (S)

 「呪」は、陀羅尼の訳語として用いられる。梁の僧祐『出三蔵記集』(4)には、灌頂七万二千神王護比丘呪経、最勝長者受呪願経などのほか、摩訶般若波羅蜜神呪、七仏安宅神呪、十八竜王神呪経など、神秘な呪文を意味する「神呪」の語を用いた経典が多数著録されている。
 ちなみに「呪文」の語は、唐の道世の『法苑珠林』(妖怪)に、宋の元嘉14年(437)の頃、魯郡太守の梁清が鬼神を降伏させるために外国の道人(僧侶)を呼んで呪文(祝文)を読ませた、話として見えている。

 わが国では、すでに早く『日本書紀』(神代下)に

天照大神…乃(すなは)ち矢を取りて之に呪して(上代は「ほきて」と訓読)曰く、もし悪心を以て射ば則(すなは)ち天稚彦(あめわかひこ)かならずまさに害に遭ふべし

とある.

薬力は業鬼を却(さ)くることあたはず、呪の功(く)は通じて一切の病を治す。     〔十住心論(1)〕
峰延、大威徳・毘沙門天の呪を誦せり。神呪の力、忽(たちま)ちに大蛇を斬りつ。     〔拾遺往生伝(下2)〕