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じゅ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2006年7月18日 (火) 16:41時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版

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vedanaa (skt.)

 「痛」「覚」とも訳される。根(六根。眼・耳などの認識器官)と(六境。色・声などの認識の対象)と(六識。眼識・耳識などの認識作用)との(接触和合)から生じる苦・楽・不苦不楽などの印象・感覚をいう。有情やこれを取り巻く世界を五つの要素に分類した五蘊の一つ。十二因縁の第七支として組み込まれる。
 説一切有部阿毘達磨唯識説では、心の働くときにはいつでも生じている精神作用として十大地法や五遍行の一つに数えられる。

受と申すは、即(すなは)ち受の心所なり。およそ此の心所に五受と申して五の位あり、憂受・苦受・喜受・楽受・捨受なり     〔法相二巻抄(上)〕

dhaaranii (skt.)

 「呪」は、陀羅尼の訳語として用いられる。梁の僧祐『出三蔵記集』(4)には、灌頂七万二千神王護比丘呪経、最勝長者受呪願経などのほか、摩訶般若波羅蜜神呪、七仏安宅神呪、十八竜王神呪経など、神秘な呪文を意味する「神呪」の語を用いた経典が多数著録されている。
 ちなみに「呪文」の語は、唐の道世の『法苑珠林』(妖怪)に、宋の元嘉14年(437)の頃、魯郡太守の梁清が鬼神を降伏させるために外国の道人(僧侶)を呼んで呪文(祝文)を読ませた、話として見えている。

 わが国では、すでに早く『日本書紀』(神代下)に

天照大神…乃(すなは)ち矢を取りて之に呪して(上代は「ほきて」と訓読)曰く、もし悪心を以て射ば則(すなは)ち天稚彦(あめわかひこ)かならずまさに害に遭ふべし

とある.