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じょうりょ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

静慮

dhyāna (S)

 心を静めて思慮すること。三摩地(samādhi)における心のありようで、心が一つの対象にとどめおかれて平等となった状態(心一境性)をいう。原語dhyānaのパーリ語jhānaを音写して禅那といい、それを縮めてという。ただし禅という訳語は旧訳であり、新訳にはない。

寂静思慮故、名静慮。(『婆沙』80、大正27・412b)
静、謂、寂静。慮、謂、籌慮。此四地中、定慧平等故、称静慮。余随有闕、不得此名。〔『婆沙』141、T27-726c〕
依何義故立静慮名。由此寂静、能審慮故。審慮即是実了知義。〔『倶舎』28、T29-145b〕
言静慮者、於一所縁、繋念寂静、正審思慮故、名静慮。〔『瑜伽』33、T30-467c〕

 三界のなかの色界を構成する4つのありよう。色界のなかの4つの生存のありようである初静慮・第二静慮・第三静慮・第四静慮の4つをいう。
 静慮を生静慮(生存のありようとしての静慮)と定静慮(定まった状態としての静慮)とに二分するなかの生静慮にあたる。天を付して静慮天という場合がある。静慮のパーリjhānaの音写である禅那を縮めた禅を用いて禅天ともいう。4つの静慮の違いは、

  1. 初静慮   尋・伺・喜・楽・心一境性の5つ
  2. 第二静慮  内等浄・喜・楽・心一境性の4つ
  3. 第三静慮  捨・念・正智・受楽・心一境性の4つ
  4. 第四静慮  捨清浄・念清浄・不苦不楽受・心一境性の4つ

をそれぞれ有することである。
〔『倶舎』28、T29-154a以下〕:〔『雑集論』9,T31-736b〕

 六波羅蜜多のなかの静慮波羅蜜多の静慮。

静盧に由る故に煩悩を永伏し、般若に由るが故に随眠を永害す

〔『瑜伽』43、T30-527b以下〕