操作

だいじょうきしんろん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

大乗起信論

 如来蔵思想の系統に立つ大乗仏教の論書。インドの2世紀の有名な仏教詩人アシヴァゴーシャ(馬鳴)の作と伝えられているが、実際の成立は5-6世紀のころだろうと考えられている。
1巻、真諦(Paramārtha, 499-569)訳、翻訳550年、(T32, pp.575-583)
2巻、実叉難陀 (Śikṣānanda, 652-710)訳、翻訳695-704年,(T 32, pp 583-591)
サンスクリット訳もチベット訳も残っていない。

  1. 大正新脩大藏經 Vol.32 p.575
  2. 大正新脩大藏經 Vol.32 p.583

構成

 全体は5章に分かれている。
第1章 因縁分(いんねんぶん) 論を著す理由
第2章 立義分(りゅうぎぶん) 問題の所在、後の第3章における理論の骨子
第3章 解釈分(げしゃくぶん) 理論の開陳
第4章 修行信心分(しゅぎょうしんじんぶん) どのような信心をいかに修行するか
第5章 勧修利益分(かんしゅりやくぶん) 論の教えを実践することの利益を示して実践を勧める

 大綱論より各論へ、理論から実践へと説きすすめる段章は、仏教論書としてはまことに理路整然としており、とりわけ論述の力点は第3章の理論的説明の部分に注がれている。

綱格

 全体の綱格としては、一心二門三大ということがいわれる。
 一心とは衆生心のこと。それを真如門(しんにょもん)(永遠相、本質界)と生滅門(しょうめつもん)(現実相、現象界)の二面から見る。
 また、三大とは体(本体)・相(様相)・用(ゆう、作用)のことで、事物のあり方についていったものであり、事物を支える根本の理法(真如)のあり方でもあるから、体大・相大・用大と称した。

 5世紀ころには如来蔵を原理とする永遠相(本質界)と阿頼耶識を原理とする現実相(現象界)の関係づけ、ないし統一が試みられるにいたり、経典としては『楞伽経』の成立となり、さらに進んで『大乗起信論』が作成された。

概要

 理論実践の両面から大乗仏教の中心的な思想を要約したもので、短篇ではあるが、仏教史上極めて重要な書物である。
 構成は、序分、正宗分、流通分から成っており、正宗分は、因縁分、立義分、解釈分、修行信心分、勧修利益分である。このうち立義分と解釈分とは理論面であり、修行信心分は実践面であるといちおう言い得るが、しかし解釈分のなかにも実践面が強く現われている。解釈分は、顕示正義、対治邪執、分別発趣道相であり、このうち顕示正義が理論面の中心をなすものである。
 大乗というのは衆生心であり、その衆生心が心真如門と心生滅門とに分かれ、いずれも一切法をおさめている。心生滅門では、悟りや迷いの心の動きが説かれているが、しかしそれは心真如門を離れているのではないことを明らかにしている。対治邪執では人我見と法我見とを挙げ、分別発趣道相では発心について、解行、の3段階を述べている。実践面の修行信心分では、根本と仏法僧を信ずるのが信心で、施、戒、忍、進、止観を行ずるのが修行であるという。

 なお、本覚・不覚・始覚の概念も本書に見える。

影響

 本書の影響は大きく、大乗仏教の主要な宗派、華厳天台浄土真言などに及んでいる。したがって本書に関する註釈書は驚くべきほど多い。なかでも慧遠元暁法蔵のものは『起信論』の3疏と言われているが、慧遠のものは真作を疑われている。法蔵(643-712)の『義記』はもっとも有名で、その後の『起信論』解釈に永く影響を及ぼした。宗密(780-841)に『起信論註疏』があり、子叡(-1038)はさらにそれを詳しく説いて『起信論疏筆削記』を著わした。これらのものはすべて真諦の旧訳にもとづくものであるが、実叉難陀の新訳に対する註釈は智旭(1599-1655)の『起信論裂網疏』のみがある。

 国訳としては、島地大等(国大 論部5)、望月信亨(国一 論集部5)、宇井伯寿(岩波文庫)などのものがあり、それぞれ解説がついており、また現代語訳を渡辺照宏、柏木弘雄が試みている。近代の研究としては、村上専精、望月信亨、久松真一、武邑尚邦、武内紹晃、平川彰のものがある。

撰述疑惑

 本書はどこで誰によって製作されたかということが問題になっている 「馬鳴造、真諦訳」とはなっているが、サンスクリットの原典もチベット訳も残っておらず、上述の漢訳が2部あるのみで、果たしてインドで作られたかどうかが疑われている。したがってほぼ3説を挙げることができる。

  1. 龍樹(150-250頃)以前の馬嗚の作
  2. 龍樹以後の同名異人の作
  3. 中国における偽作

 このうち第1説はもはや信じられない。そこで第2説と第3説に着目される。
 第3説を主張するのは望月信亨である。この説によれば、隋の『法経録』に真諦訳を疑っていることに端を発し、本書の訳語例から見て真諦訳でないと判定し、また偽経として伝えられる『仁王経』『瓔珞経』から引用したり、同じく偽経の『占察経』と内容的に類似していることから、中国製作として南道地論の系統とし、作者は曇遵ではないかと推察している。
 これに対して第2説を代表するのは常盤大定である。この説では、本書に「馬鳴造、真諦訳」とあるのを根拠とし、真諦の弟子智愷の序文や隋の『歴代三宝紀』によってそれが裏付けられ、また内容的に『楞伽経』と密接な関係のあることから、龍樹以後のインドにおける製作であるとする。
 中国製作をとるものは望月の外に村上専精、インド製作を認めるものは、常盤以外に境野黄洋、羽渓了諦、松本文三郎、林屋友次郎などがあり、いずれが正しいか決定を見ない。