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ちべっとだいぞうきょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

チベット大蔵経

 8世紀末以後、主にサンスクリット仏典チベット語に訳出して集大成した。 まずチベット語が、7世紀にスロン-ツァン-ガン-ポ(sro*n btsan sgam po)王の時代、632年にトン-ミ-サンボータ(Thon mi sa.mbho.ta)をインドに留学させて、チベット文字・文法を確立させたものである。そのせいで、サンスクリット語仏典がチベット語に翻訳された。
 チベット大蔵経自身は、顕教部分が主に9世紀前半に、密教部分が11世紀以後に訳され、14世紀はじめ頃、中央チベット西部のナルタン寺で経・律を内容とする〈カンギュル〉(bka.h-.hgyur、甘殊爾)と論疏(ろんしょ)を扱った〈テンギュル〉(bstan-.hgyur、丹殊爾)に分けて編集されてできあがった。やがて増補されて前者はツェルパ本、後者はシャール本となった。いずれもインド仏教末期までの伝統を正確忠実な訳文で伝えている。
 そのために、サンスクリット原本がない場合などは、チベット訳から逆に翻訳し戻す作業などによって、原本を推定したりする。

 カンギュル最古版は永楽版(1410年)で、万暦重版(1606年)がこれにつぎ、その後ジャン版(雲南麗江、1623年)が、いずれもツェルパ本によって成立した。
 テンギュルの最古版は雍正(ようせい)版(1724年)で、ナルタン版(1742年)も同様にシャール本を補訂したチョンギェー本によっている。デルゲ版(1742年)も同本を参照しているが、シャール本を底本としている。
 上記テンギュル3版にそれぞれのカンギュル(1737年、1732年、1731年)を合せたものが最も有名で、最初のものは「北京版」と呼ばれている。他に、チョーネ版(1731年)、ラッサ版(1934年)のカンギュルとチョーネ版のテンギュル(1773年)があり、ジャン版の覆刻リタン版もある。

 これで分かるように、チベット仏教は根本に顕教を置き、その上で密教があるという重層的なものである。その点で、中国や日本の密教とはかなり異なっている。