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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(正定聚の位)
(等正覚)
 
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==等正覚==
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=等正覚=
(skt.) samyak-saMbodhi सम्यक्सँबोधि (pali) sammaasaMbhodhi सम्मासँबोधि、(音写) 三藐三菩提(さんみゃくさんぼだい)、(漢訳) 等覚(とうがく)、正等覚(しょうとうがく)<br>
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(S) <big>samyak-saṃbodhi</big> सम्यक्सँबोधि (P) <big>sammāsaṃbhodhi</big> सम्मासँबोधि、(音写) 三藐三菩提(さんみゃくさんぼだい)、(漢訳) 等覚(とうがく)、正等覚(しょうとうがく)<br>
  
通常、(skt.) anuttara-samyak-saMbodhi अनुत्तरसम्यक्सँबोधि、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)と使われて「無上等正覚(むじょうとうしょうがく)」と漢訳される。[[しゃか|釈迦]]がこの世を[[しょうけん|正見]]することによってさとりを開いたときの[[はんにゃ|般若]]の[[ちえ|智慧]]をあらわしている。<br>
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 通常、(S) <big>anuttara-samyak-saṃbodhi</big> अनुत्तरसम्यक्सँबोधि、[[あのくたらさんみゃくさんぼだい|阿耨多羅三藐三菩提]]と使われて「無上等正覚(むじょうとうしょうがく)」と漢訳される。[[しゃか|釈迦]]がこの世を[[しょうけん|正見]]することによってさとりを開いたときの[[はんにゃ|般若]]の[[ちえ|智慧]]をあらわしている。<br>
anuttarは、an-という否定詞とnuttar(より上の)の合成語で「無上の」という意味であり、samyakは「正しく」という意味、bodhiは「さとり」そのもののことであり、saMは修飾語である。これが合成されてできた言葉である。
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 anuttarは、an-という否定詞とnuttar(より上の)の合成語で「無上の」という意味であり、samyakは「正しく」という意味、bodhiは「さとり」そのもののことであり、saṃは修飾語である。これが合成されてできた言葉である。
  
 
====正覚====
 
====正覚====
'''釈迦'''が覚った状態そのものをさしており、「正覚(しょうがく)」と同意である。
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 '''釈迦'''が覚った状態そのものをさしており、「[[しょうがく|正覚]]」と同意である。
  
 
====仏の異名====
 
====仏の異名====
[[じゅうごう|十号]]の一つであり、さとった人、[[ぶつだ|仏陀]]、[[にょらい|如来]]そのものを指す。
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 [[じゅうごう|十号]]の一つであり、さとった人、[[ぶつだ|仏陀]]、[[にょらい|如来]]そのものを指す。
  
 
====菩薩の階位====
 
====菩薩の階位====
仏になる一歩手前の状態であり、[[ぼさつ|菩薩]]の修行階梯52位の内の第51位を「等正覚」と呼ぶことがある。<br>
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 仏になる一歩手前の状態であり、[[ぼさつ|菩薩]]の修行階梯52位の内の第51位を「等正覚」と呼ぶことがある。<br>
 
この場合、「等」は「等しいが同じではない」という意味と解釈されたものであろう。
 
この場合、「等」は「等しいが同じではない」という意味と解釈されたものであろう。
  
 
====正定聚の位====
 
====正定聚の位====
主に[[じょうどしんしゅう|浄土真宗]]で用いられる解釈。<br>
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 主に[[じょうどしんしゅう|浄土真宗]]で用いられる解釈。<br>
真実[[しんじん|信心]]を得た者は、仏になる要因がすべて満たされているので、必ず仏となることが決定しているから、現に「[[しょうじようじゅ|正定聚]]」の位にあるとする。これは「[[みろく|弥勒]]と同じ」と言われているから、「等正覚」とも呼ばれるのである。<br>
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 真実[[しんじん|信心]]を得た者は、仏になる要因がすべて満たされているので、必ず仏となることが決定しているから、現に「[[しょうじょうじゅ|正定聚]]」の位にあるとする。これは「[[みろく|弥勒]]と同じ」と言われているから、「等正覚」とも呼ばれるのである。<br>
この場合の「等」も「等しいが同じではない」という意味と見られる。
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*この場合の「等」も「等しいが同じではない」という意味と見られる。

2017年6月28日 (水) 02:31時点における最新版

等正覚

(S) samyak-saṃbodhi सम्यक्सँबोधि (P) sammāsaṃbhodhi सम्मासँबोधि、(音写) 三藐三菩提(さんみゃくさんぼだい)、(漢訳) 等覚(とうがく)、正等覚(しょうとうがく)

 通常、(S) anuttara-samyak-saṃbodhi अनुत्तरसम्यक्सँबोधि、阿耨多羅三藐三菩提と使われて「無上等正覚(むじょうとうしょうがく)」と漢訳される。釈迦がこの世を正見することによってさとりを開いたときの般若智慧をあらわしている。
 anuttarは、an-という否定詞とnuttar(より上の)の合成語で「無上の」という意味であり、samyakは「正しく」という意味、bodhiは「さとり」そのもののことであり、saṃは修飾語である。これが合成されてできた言葉である。

正覚

 釈迦が覚った状態そのものをさしており、「正覚」と同意である。

仏の異名

 十号の一つであり、さとった人、仏陀如来そのものを指す。

菩薩の階位

 仏になる一歩手前の状態であり、菩薩の修行階梯52位の内の第51位を「等正覚」と呼ぶことがある。
この場合、「等」は「等しいが同じではない」という意味と解釈されたものであろう。

正定聚の位

 主に浄土真宗で用いられる解釈。
 真実信心を得た者は、仏になる要因がすべて満たされているので、必ず仏となることが決定しているから、現に「正定聚」の位にあるとする。これは「弥勒と同じ」と言われているから、「等正覚」とも呼ばれるのである。

  • この場合の「等」も「等しいが同じではない」という意味と見られる。