操作

「とうだいじ」の版間の差分

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

13行目: 13行目:
 
天平勝宝3年([[751年]]) 螺髪の鋳造並びに頭部への取り付け。<br>
 
天平勝宝3年([[751年]]) 螺髪の鋳造並びに頭部への取り付け。<br>
 
天平勝宝4年([[752年]])4月 開眼供養会(かいげんくようえ)が執行。<br>
 
天平勝宝4年([[752年]])4月 開眼供養会(かいげんくようえ)が執行。<br>
天平勝宝6年([[754年]]) [[がんじん|鑑真]]来朝。大仏殿宝前に設けられた戒壇に於て、聖武上皇・孝謙天皇等に戒を授ける。以後、大仏殿の戒壇を移築した東大寺戒壇院を授戒の根本道場とする。[[画像:todaiji_garan.gif]]<br>
+
天平勝宝6年([[754年]]) [[がんじん|鑑真]]来朝。大仏殿宝前に設けられた戒壇に於て、聖武上皇・孝謙天皇等に戒を授ける。以後、大仏殿の戒壇を移築した東大寺戒壇院を授戒の根本道場とする。<br>
 
延暦8年([[789年]]) 東大寺の七堂伽藍の造営終了。造東大寺司の廃止。
 
延暦8年([[789年]]) 東大寺の七堂伽藍の造営終了。造東大寺司の廃止。
 
<br>
 
<br>
 
「発願聖武天皇」・「勧進行基菩薩」・「開山良弁僧正」・「開眼導師菩提僊那」の四聖(ししょう)の協力により「四聖建立の寺」とも称せられる。
 
「発願聖武天皇」・「勧進行基菩薩」・「開山良弁僧正」・「開眼導師菩提僊那」の四聖(ししょう)の協力により「四聖建立の寺」とも称せられる。
  
[[画像:daibutsuden.jpg]]<br>
 
 
草創以来の堂舎として法華堂・転害門(てがいもん)・経庫および正倉院を残し、天平時代作の仏像を蔵し、鎌倉時代再興の南大門の仁王は運慶・快慶の合作。現存の大仏殿は江戸中期の再興で、世界最大級の木造建築。<br>
 
草創以来の堂舎として法華堂・転害門(てがいもん)・経庫および正倉院を残し、天平時代作の仏像を蔵し、鎌倉時代再興の南大門の仁王は運慶・快慶の合作。現存の大仏殿は江戸中期の再興で、世界最大級の木造建築。<br>
 
南都諸大寺と同様、仏教の教理を研究し学僧を養成する機関。六宗兼学といい寺内に三論(さんろん)・成実(じょうじつ)・法相(ほっそう)・倶舎(くしゃ)・華厳(けごん)・律(りつ)の六宗が併存し、他宗との兼学も自由で、今日の大学のような役目を兼ねていた。
 
南都諸大寺と同様、仏教の教理を研究し学僧を養成する機関。六宗兼学といい寺内に三論(さんろん)・成実(じょうじつ)・法相(ほっそう)・倶舎(くしゃ)・華厳(けごん)・律(りつ)の六宗が併存し、他宗との兼学も自由で、今日の大学のような役目を兼ねていた。

2007年12月1日 (土) 11:43時点における版

東大寺

〒630-8587 奈良市雑司町406-1

華厳宗の総本山。金光明四天王護国之寺・大華厳寺・城大寺・総国分寺などと別称する。南都七大寺の一。

神亀5年(728年) 聖武天皇の皇太子、基(もとい)王の菩提を追修するために金鐘山寺(きんしょうせんじ)建立。
天平12年(740年) 良弁が主宰して華厳経の講読開始。良弁は後に東大寺初代別当。
天平13年(741年) 聖武天皇より「国分寺・国分尼寺建立の詔」が発せられ、全国に国府を中心として僧寺(金光明四天王護国之寺、国分寺)と尼寺(法華滅罪之寺、法華尼寺、国分尼寺)が置かれる。金鐘山寺は大和国の国分寺に充てられ、金光明寺とも呼ばれる。
天平15年(743年)10月15日 聖武天皇は「盧舎那大仏造顕の詔」を発す。紫香楽(現在の滋賀県甲賀郡信楽町)において盧舎那大仏の造像事業が開始。 天平17年(745年) 大仏の造像工事開始。
天平19年(747年) 大仏殿の建立開始。
天平19年(747年)9月 - 天平勝宝元年(749年)10月まで、3ヶ年8度の鋳継ぎを経て大仏本体の鋳造が完了。
天平勝宝3年(751年) 螺髪の鋳造並びに頭部への取り付け。
天平勝宝4年(752年)4月 開眼供養会(かいげんくようえ)が執行。
天平勝宝6年(754年) 鑑真来朝。大仏殿宝前に設けられた戒壇に於て、聖武上皇・孝謙天皇等に戒を授ける。以後、大仏殿の戒壇を移築した東大寺戒壇院を授戒の根本道場とする。
延暦8年(789年) 東大寺の七堂伽藍の造営終了。造東大寺司の廃止。
「発願聖武天皇」・「勧進行基菩薩」・「開山良弁僧正」・「開眼導師菩提僊那」の四聖(ししょう)の協力により「四聖建立の寺」とも称せられる。

草創以来の堂舎として法華堂・転害門(てがいもん)・経庫および正倉院を残し、天平時代作の仏像を蔵し、鎌倉時代再興の南大門の仁王は運慶・快慶の合作。現存の大仏殿は江戸中期の再興で、世界最大級の木造建築。
南都諸大寺と同様、仏教の教理を研究し学僧を養成する機関。六宗兼学といい寺内に三論(さんろん)・成実(じょうじつ)・法相(ほっそう)・倶舎(くしゃ)・華厳(けごん)・律(りつ)の六宗が併存し、他宗との兼学も自由で、今日の大学のような役目を兼ねていた。