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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(等無間縁)
 
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 [[しえん|四縁]]([[いんねん|因縁]]・'''等無間縁'''・[[しょえんねん|所縁縁]]・[[ぞうじょうえん|増上縁]])の一つ。こころ([[しん|心]][[しんじょ|心所]]・[[しき|識]])が生じるための補助原因([[えん|縁]])。一刹那前に滅したこころの総体(前滅意・無間滅意)をいう。等無間依・等無間縁依・無間滅縁ともいう。<br>
 
 連続する心において、後の心・心作用は、先の心・心作用を継承するとともに自らもまた因となって、さらに次の心・心作用を生起させる。その場合には前の瞬間の心・心作用が善であって、次の瞬間のそれが悪であるということもありうる。この場合に、原因となっているものを'''等無間縁'''とよび、その結果を'''増上果'''という。<br>
 
 連続する心において、後の心・心作用は、先の心・心作用を継承するとともに自らもまた因となって、さらに次の心・心作用を生起させる。その場合には前の瞬間の心・心作用が善であって、次の瞬間のそれが悪であるということもありうる。この場合に、原因となっているものを'''等無間縁'''とよび、その結果を'''増上果'''という。<br>
 等無間とは、間をおかぬ、直後という意。したがって、等無間縁とは直後に生ずるダルマのために縁となること。直接の縁。すでに生じた心・心作用がしりぞいて、直後の心・心作用を生じさせる際、前の心と後の心との間に隔てるものがなく、すでに生じたダルマが直ちに次に続くダルマの生ずる縁となること。また'''次第縁'''ともいう。[[しえん|四縁]]の一つ。
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 等無間とは、間をおかぬ、直後という意。したがって、等無間縁とは直後に生ずるダルマのために縁となること。直接の縁。すでに生じた心・心作用がしりぞいて、直後の心・心作用を生じさせる際、前の心と後の心との間に隔てるものがなく、すでに生じたダルマが直ちに次に続くダルマの生ずる縁となること。また'''次第縁'''ともいう。
  
 
   等間縁と云は心の起るが滅する時次の心を引起するを云也、後の心は前の心を縁として生ずるが故也。    〔唯識大意〕
 
   等間縁と云は心の起るが滅する時次の心を引起するを云也、後の心は前の心を縁として生ずるが故也。    〔唯識大意〕
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:等無間縁者、謂、若此識無間、諸識決定生、此是彼等無間縁。〔『瑜伽師地論』3,T30-292a〕
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:等無間縁者、謂、前六識等及相応法等無間減、後六識等及相応法等無間生。〔『瑜伽』85、T30-775c〕
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:何等等無間縁。謂、中無間隔、等無間故、同分異分心心所生、等無間故、是等無間縁義。〔「集論』3,T31-671c〕
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:諸心心所、皆有所依。然彼所依総有三種。<small>(中略)</small>三等無間縁依、謂、前滅意。諸心心所、皆託此依、離開導根、必不起故。〔『成唯識論』4、T31-19b〕

2018年7月28日 (土) 17:14時点における最新版

等無間縁

samanantara-pratyaya (S)

 四縁因縁等無間縁所縁縁増上縁)の一つ。こころ(心所)が生じるための補助原因()。一刹那前に滅したこころの総体(前滅意・無間滅意)をいう。等無間依・等無間縁依・無間滅縁ともいう。
 連続する心において、後の心・心作用は、先の心・心作用を継承するとともに自らもまた因となって、さらに次の心・心作用を生起させる。その場合には前の瞬間の心・心作用が善であって、次の瞬間のそれが悪であるということもありうる。この場合に、原因となっているものを等無間縁とよび、その結果を増上果という。
 等無間とは、間をおかぬ、直後という意。したがって、等無間縁とは直後に生ずるダルマのために縁となること。直接の縁。すでに生じた心・心作用がしりぞいて、直後の心・心作用を生じさせる際、前の心と後の心との間に隔てるものがなく、すでに生じたダルマが直ちに次に続くダルマの生ずる縁となること。また次第縁ともいう。

 等間縁と云は心の起るが滅する時次の心を引起するを云也、後の心は前の心を縁として生ずるが故也。    〔唯識大意〕
等無間縁者、謂、若此識無間、諸識決定生、此是彼等無間縁。〔『瑜伽師地論』3,T30-292a〕
等無間縁者、謂、前六識等及相応法等無間減、後六識等及相応法等無間生。〔『瑜伽』85、T30-775c〕
何等等無間縁。謂、中無間隔、等無間故、同分異分心心所生、等無間故、是等無間縁義。〔「集論』3,T31-671c〕
諸心心所、皆有所依。然彼所依総有三種。(中略)三等無間縁依、謂、前滅意。諸心心所、皆託此依、離開導根、必不起故。〔『成唯識論』4、T31-19b〕