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にそん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

二尊

 浄土教で、釈迦仏と阿弥陀仏とをいう。善導の『観経疏玄義分要門弘願とをあげ、同じく散善義に発遣と招喚とをあげて、それぞれ前者は釈迦教、後者は弥陀教であるとして、二尊の教説(二尊教)を示している。

 この二尊教の同異について、

  1. 浄土宗鎮西派では、念仏を散善の中の一として、弘願を要門の中に含ませて見る二尊一致の立場をとる
  2. 浄土宗西山派では、西谷流は二尊一教と称して、要門は説き手の釈迦仏の語であって往生行でなく、その仏語によってあらわされた阿弥陀仏の弘願が往生行であるとし、深草流は二尊二教と称して、要門にあらわす定散の行は釈迦教であり、弘願の念仏は弥陀教であるとする。
  3. 浄土真宗では、観無量寿経の正宗分は、表からいえば釈迦が要門を説いており、阿弥陀仏の本意である弘願の念仏は裏にかくされているので二尊二教であるが、同経の流通分からすれば、釈迦は念仏一行を阿難に附属したのであるから、二尊の遣喚(発遣と招喚、即ち釈迦のすすめと阿弥陀のまねき)が一致して二尊一教であるとする。