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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

二諦

 世俗諦勝義諦。これに2種の用法がある。

1.世俗諦とは、世俗としての真理、言葉が通用する世界の真理をいい、勝義諦とは、最高の真理、言葉が通用しない世界の真理をいう。前者は現象的存在(有為)としての真理、後者は非現象的存在(無為)としての真理、すなわち涅槃あるいは真如をいう。
 真諦俗諦。真諦とは、真理上の実義、もしくは佛菩薩の観ずる所の実義のこと。俗諦とは、俗事上の実義、もしくは凡夫の知った実義の事である。

2.現象的存在、すなわち有為に関して用いられる世俗諦と勝義諦。この場合は、言葉で語られた「もの」の存在性の度合いをいう語として用いられる。
 たとえば身と心からなる生命的存在に対して仮に「有情・命者・生者」などの名称で呼ばれたもの、あるいは「我(われ)が眼根が色をみる」というときの「」というものなどは世俗諦であり、有情ないし我は「無常性であり苦性であり無我であり縁生性である」と説かれるときの無常性、ないし縁生性は勝義諦である、という。
 あるいは世俗諦としては自らがあることを作し、その結果を自らが受けるといい、そこに作者や受者を立てるが、勝義諦としてはのような作者も受者も存在しなく、そこには因果があるだけであるという。

 このように2つの真理によって真理(=)を説くところに仏教の真理観の特徴がある。

 如実了知世俗諦義、謂、五明処。如実了知勝義諦義、謂、於七真如。〔『解深密経』4、T16-706c〕
 云何為諦。謂、世俗諦及勝義諦。云何世俗諦。謂、即於彼諦所依処、仮想安立我或有情乃至命者及生者等。又自称言我眼見色乃至我意知法。又起言説、謂、如是名乃至如是寿量辺際。広説如前、当知。此中唯有仮想、唯仮自称、唯仮言説所有性相作用差別、名世俗諦。云何勝義諦。謂、即於彼諦所依処、有無常性。広説乃至有縁生性。〔『瑜伽師地論』92、T30-824c〕