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にょ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

iva: udāhārya: upama: eva: kalpa: tathā: tad-yathā: tad-rūpa: tādṛśa: nidarśana: prakhya: yathā: yathāvat: yādṛśa: vat: sadṛśa: sādharmya: sthānīya (S)

 「ごとし」と読み、ある事柄に対して、それと似ている喩えを引くときに用いる語。あるいは、ある事柄に対して具体的な例をあげるときに用いる語。

 縄などに於て率爾に蛇と謂うが如し。
 東毘提訶洲の相は半月の如し。
 余の経に説くが如し。
 段食と触食とは養母の如く、思食と識食とは生母の如し。

udāhṛti; tathāiva (S)

 2つのものが相似ていること。

tathā (S)

 あるがまま。このまま。中・実相と同じ。

tathātā (S)

 ものそのもののすがた。もののありのままの姿。真実のすがた。真実のありのままのすがた。真如。諸事象の本性。宇宙の万有に行き渡っている永遠の真理。真如
bhūta-tathātā (S)〔無量寿経、T12-274a〕

 法身なり。
 一如なり。
 法性。
 すべての存在の「あるがまま」ということ(如 tathatā)は、2種類に区別される。1は、各存在の個別的なすがた。ありよう(各各相)についていうもの。2は、真実あるがままのすがた(実相)についていうものである。
 個別的なすがた。ありようとは、たとえば、地の堅さ(地は堅い)、水の湿りけ(水は湿っぽい)、火の熱さ(火は熱い)、風の動き(風は動く)である。これらはいずれも諸存在を分析的に捉えた上で、それぞれの存在に固有のすがた・ありょうがあるとするものである。他方、真実あるがままのすがたとは、それらの個別的なすがた。ありようの内に、認識されず、破壊もされない、何ひとつ欠点をもたない真なるものを見いだそうとするものである。それについては先に「固有のすがた・特徴(自相)とされているものはすべて空である」ということを明らかにした際に説いたとおりである。

nyāya (S)

 道聖諦の四相(道・如・行・出)のなかの一つ。すなわち涅槃に至る修行の道が正しい理に契っているありよう、あるいは如実に働くありようをいう。

 道聖諦有四相。一道、二如、三行、四出。(中略)契正理故如。(中略)如実転故如。〔『倶舎』26、T29-137a~b〕

 真如の略称。真実のをいう。

 如者真実理也。〔『唯識了義灯』1本、T43-670a〕