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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(般若)
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prajJaa (skt.)「般頼若」とも書く。
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<big>Prajñā</big> (S)「般頼若」とも書く。
  
 北インドの出身で、中インドのナーランダ寺で修学して、建中二年(781)48歳で海路で中国の広州に着いて長安へ入る。<br>
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 北インドの出身で、中インドのナーランダ寺で修学して、建中2年(781)48歳で海路で中国の広州に着いて長安へ入る。<br>
 崇福寺(796年)において、南インド烏荼国から献上された『華厳経』の梵本(入法界品)を訳し、四十巻とする。
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 崇福寺(796年)において、南インド烏荼国から献上された『[[けごんきょう|華厳経]]』の梵本(入法界品)を訳し、40巻とする。

2017年8月14日 (月) 19:41時点における最新版

般若

はんにゃ、prajñā प्रज्ञा(skt)、paññā पञ्ञा(pali)

 般若とはサンスクリット語の「プラジュニャー」、パーリ語の「パンニャー」の音写である。斑若、鉢若、般羅若、鉢羅枳嬢などとも音写されてきた。一般には智慧といわれ、仏教におけるいろいろの修行の結果として得られたさとりの智慧をいう。ことに、大乗仏教が起こってからは、般若は大乗仏教の特質を示す意味で用いられ、諸法の実相である (śūnya शून्य)と相応する智慧として強調されてきた。
 同じ悟りの智慧をあらわす遍智(へんち、parijñā परिज्ञा)と区別される。遍智とは文字通り「あまねく知る」ことで、四諦の道理を無漏(むろ)の智によって知ることである。この遍智を小乗のさとりを表すものとして、大乗の般若と区別するのも、般若を存在の当相をそのままに自覚する実践智と考えるからである。

 この般若の意味は、識(しき、ヴィジュニャーナ、vijñāna विज्ञान)とも区別される。とは、いわゆる知識であり、客観的に物の何であるかを分析して知る分析智である。このような知識を克服して、それを実践智に深め、物の真相に体達すること、そのような智をことに般若というのである。たとえば、「生活の智慧」というが生活の知識といわず、「科学の知識」といって科学の智慧といわないようなものである。

般若波羅蜜

 般若を諸法の実相を体得した実践智として、常に悟りへつづく実践の根底に働くものとみる時、この般若の智慧こそ、仏教のさとりの本質である「自利利他二利円満」を完成するものとして、「仏母」とよばれるものである。『大智度論』(44)に次のように説明される。

般若とは秦に智慧という。一切のもろもろの智慧の中で、最も第一たり、無上、無比、無等なるものにして、さらに勝るものなし

 この意味で、般若は六波羅蜜中の般若波羅蜜(prajñā-pāramitā)である。布施、持戒、忍辱、精進、禅定などの五波羅蜜によって達せられるのが般若の智慧波羅蜜である。

智と慧の漢訳

 一般に般若は「智慧」と訳されるが、厳密には中国に翻訳される場合、それは「慧」と訳され、「智」とは区別されていた。
 道倫(どうりん)の瑜伽師地論記

梵にいう般若とは、これに名けて慧となす。当に知るべし、第六度なり。梵にいう若那とは、これに名けて智となす。当に知るべし、第十度なり

とあって、般若を慧、闍那(若那、jñāna)を智と、それぞれ訳出して、その意味の区別を考えていたことがわかる。
 このことは慧琳(えりん)の音義

般羅若、正しく鉢羅枳嬢(はっらきじょう)という。唐に慧といい、或は智慧という

といっている点からも明らかであり、般若は慧と訳され、十波羅蜜の第六波羅蜜、智は闍那で第十波羅蜜を、それぞれ示していた。

智と慧の区別

 この慧と智の区別について、慧遠(えおん、334年-416年)は大乗義章の中で、「智」を照見、「慧」を解了とし、「智」は一般に世間で真理といわれるものを知ること、「慧」は出世間的な最も高く勝れた第一義の事実を照見し、それに体達するものであるとする。
 さらに華厳経の註釈である華厳経探玄記を書いた賢首(げんじゅ)大師法蔵によれば、智を第十度、慧を第六度にあてて、この中の「智」は因果、順逆、染浄などの差別を決断する作用であるといって「智」を決断作用とし、「慧」は諸法の仮実、体性の有無などを照達することであるとして、それを疑心を断じ、しかも事物そのものを体験的に知ることであるとしている。
 このように智(jñāna)と慧(prajñā)を区別することは、仏教のインドにおける教えの中に、すでに説かれていたことでもあった。たとえば、仏教教学の基礎であるといわれているアビダルマでは「慧」〈prajñā〉を心の作用として、それは見られる対象を分別し、それが何であるかを決定し、疑心を断じて、そのものを本当に理解する心の働きであるとして、それを「簡択」(けんちゃく)(簡はえらぶこと、択はきまりをつけること)の作用をもつ心のはたらきとする。この慧によって決断することを「智」(jñāna)という。

聞思修

 この慧の働いてゆく姿を三段にわけて聞慧・思慧・修慧といい、その慧の生じ方によって聞慧・思慧・修慧という。前者は、まず聞き次に考えさらに実際に修行する三段で本当の智慧は完成するから、聞思修の慧という。後者は、慧を得る方法に区別があるので、聞所成慧(śrutamayī-prajñā)、思所成慧(cintāmayī-prajñā)、修所成慧(bhāvanāmayī-prajñā)といわれる。

実践智としての般若

 このように、仏教が般若の智慧を真実の智慧として、それを悟りの実践智と説くことに注意が必要である。親鸞が「信心の智慧」「智慧の念仏」といったことの意味を考えるべきである。仏教の般若・智慧は、この意味で具体的生活の上に生きて働く智慧であり、信心の働いてゆく姿である。しかも、知識ではなく智慧であるから、自らの分別を離れ、自他対立や差別を超克したものである。  現実世界では、対話が独言的主張や、雑談や、説得になっているのは、知識の世界にとどまっているだけであり、却って対立を起こし深めている。本当の意味の対話は問題意識を同じくするもの同志がお互いに聞き合うことから始まる智慧の世界であり、そこにこそ本当の問題解決が得られると言えるだろう。

般若の面

 ちなみに「般若の面」と言われて、「嫉妬した女の顔」としての鬼女の面を指すが、般若とは何の関係もない。
 一説には般若坊という僧侶が作ったところから名がついたといわれている。あるいは、源氏物語 の葵(あおい)の上が六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の嫉妬心に悩まれ、その生怨霊にとりつかれた時、般若経 を読んで御修法(みずほう)を行い怨霊を退治したから、般若が面の名になったともいわれる。


般若三蔵

Prajñā (S)「般頼若」とも書く。

 北インドの出身で、中インドのナーランダ寺で修学して、建中2年(781)48歳で海路で中国の広州に着いて長安へ入る。
 崇福寺(796年)において、南インド烏荼国から献上された『華厳経』の梵本(入法界品)を訳し、40巻とする。