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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(不共法)
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 これらを合集しまた別のものを加えて整理し、『[[じゅうじゅうびばしゃろん|十住毘婆沙論]]』では四十不共法とまとめた。
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 これらを合集しまた別のものを加えて整理し、『[[じゅうじゅうびばしゃろん|十住毘婆沙論]]』では四十不共法とまとめた。<br>
 
 ここでは「是の四十不共法は、略して仏法の門を開き衆生をして解せしめる故に説くも、説かざる所は無量無辺なり」といって、一は常に慧を離れず、以下四十四不共法を例示して、「仏の不共法は是の如き等の無量無数ありて、余事を妨げる故に広説を須いず」とのべていることによっても、それは容易に推量することができる。
 
 ここでは「是の四十不共法は、略して仏法の門を開き衆生をして解せしめる故に説くも、説かざる所は無量無辺なり」といって、一は常に慧を離れず、以下四十四不共法を例示して、「仏の不共法は是の如き等の無量無数ありて、余事を妨げる故に広説を須いず」とのべていることによっても、それは容易に推量することができる。
  
 
 『[[ゆがしじろん|瑜伽師地論]]』巻49、究竟瑜伽処建立品には、三十二相・八十種好・四一切行浄・十力・四無所畏・三念処・三不護(本書では四不護法とする)・大悲・無忘失・断煩悩習・一切智の百四十不共法をあげている。
 
 『[[ゆがしじろん|瑜伽師地論]]』巻49、究竟瑜伽処建立品には、三十二相・八十種好・四一切行浄・十力・四無所畏・三念処・三不護(本書では四不護法とする)・大悲・無忘失・断煩悩習・一切智の百四十不共法をあげている。

2017年8月15日 (火) 00:26時点における版

不共法

 不共法とは、仏に無量の特質があるが、他のものに見られない特質で、仏のみに具わるもののことである。
 通常は十八不共法が説かれ、(1)十力・四無所畏・三念住・大悲の十八を数えるのと、(2)初期大乗経典に説かれるのと二説がある。

 前者は、『大毘婆沙論』巻17などに説かれ、『大智度論』巻26に迦栴延子によってまとめて説かれたというように、主として説一切有部において用いられた
 後者は大品般若経巻5、広乗品、同巻24、四摂品、般舟三昧経巻下、十八不共十種力品、大宝積経巻40、菩薩蔵会如来不思議性品、大般若経巻53、辨大乗品などに説かれる。

云何んが十八不共法と為すや。一には諸仏の身に失無し。二には口に失無し。三には念に失無し。四には異の想無し。五には不定の心無し。六には不知已捨の心無し。七には欲に減無し。八には精進に減無し。九には念に減無し。十には慧に減無し。十一には解脱に減無し。十二には解脱知見に減無し。十三には一切の身業は智慧に随って行ず。十四には一切の口業は智慧に随って行ず。十五には一切の意業は智慧に随って行ず。十六には智慧過去世を知るに無礙なり。十七には智慧未来世を知るに無礙なり。十八には智慧現在世を知るに無礙なり。    〔大品般若経巻24、T8,1295b〕

 般舟三昧経3巻本(T13,917a-b)には、この十八不共法と合わせて仏の十力とが説かれ、異訳の賢護分(T13,892c-894a)も同じであるが、チベット訳になると、さらに四無所畏が加わってくる(林純教『蔵文和訳般舟三昧経』pp.177-195参照)。このように十 力・四無所畏・十八不共法と合わせて説くことは、羅什訳・自在王菩薩経巻下(T13,932c)にも見られる。

 大品般若経では「仏の十力・四無所畏・四無礙智・十八不共法と大慈大悲」ということが随所に出ており、無尽意経大集経無尽意菩薩品)には、大乗の菩薩は諸もろの修行において尽くす可からずと、その所行を讃える処に、慈・悲・喜・捨の四無量心、天眼通・天耳通・他心通・宿命通・如意通の五神通、布施・愛語・利行・同事の四摂法、義無礙・法無礙・辞無礙・楽説無礙の四無礙智などが説かれている。
 また大智度論巻26には、有余師所説の仏の十八不共法が説かれるが、その中に

四には無比智を得るが故に智慧の中に自在なり。五には善く心相を解するが故に定の中に自在なり。六には度衆生の方便を得るが故に変化自在なり。七には善く諸法の因縁を知るが故に記別無量なり。八には諸法実相を説くが故に記別虚しからず。九には分別等量して説くが故に言に失なし……十六には世世に敬重して尊ばれるが故に能く頂を見るものなし。……十八には神通波羅蜜を得るが故に衆生の心を転じて歓喜し得道せしむ(T25,255c-256a)

とある。

 これらを合集しまた別のものを加えて整理し、『十住毘婆沙論』では四十不共法とまとめた。
 ここでは「是の四十不共法は、略して仏法の門を開き衆生をして解せしめる故に説くも、説かざる所は無量無辺なり」といって、一は常に慧を離れず、以下四十四不共法を例示して、「仏の不共法は是の如き等の無量無数ありて、余事を妨げる故に広説を須いず」とのべていることによっても、それは容易に推量することができる。

 『瑜伽師地論』巻49、究竟瑜伽処建立品には、三十二相・八十種好・四一切行浄・十力・四無所畏・三念処・三不護(本書では四不護法とする)・大悲・無忘失・断煩悩習・一切智の百四十不共法をあげている。